ジャンクな脳と記憶

本を通じて人生の幸福を考えています。

書評「人生の勝算」

 

 今回はLIVE動画サービスの「SHOWTIME」の社長である前田裕二さんの著作「人生の勝算」を解説していく。

 まず、この本はアツい、おっさんが読んではいけないくらい暑い、若くて体力があり「自分はなんだって出来る」と感じていたあの頃を思い出させてしまう、なんとも甘酸っぱい感じが漂ってきます。勿論幾つになってもチャレンジする事は出来るので、この本を読んで熱くなるのは全然OKです。

 ここまでが前置きですが、著者の前田さんの凄さがこの本を読むと凄いのですが、その中から幾つかのエピソードを紹介しよう。

 前田さんは8歳の時に両親と死別を体験します。10歳離れている兄と二人でこの逆行を乗り切るのですが、その時彼は親戚の兄に貰ったギターで弾き語りをして、お金を稼ぐという方法を行います。

 これ、結構自分も似た境遇なのですが、私は「早く大人になりたい」と願うばかりで、結局お金を稼ぐことは無かったのですが、前田氏の早熟さと行動力には舌を巻くばかりである。

 その中のエピソードで、前田少年は最初自分のオリジナルを歌っていたそうだが、当然誰も知らない歌を歌っても、誰も立ち止まる事は無く、全くお金を稼ぐことが出来ない、そこで前田少年は考えた、誰もが知っている曲、かつ、そこに住む人たちがかつて聞いていたものを子供が歌う事によって、立ち止まってくれるのではないか、と。

 前田少年の慧眼はまんまと嵌るわけだが、その中で彼の人生の根幹になる出来事が起こる。それは、

 

 ある日、前田少年が「赤いスイートピー」を歌っていると、足を止めた女性がこう問いてきた「白いパラソル」は歌える?前田少年は正直に「今は歌えませんが、一週間後の同じ時間に来てください」とその女性と約束をつける。

 そして、一週間「白いパラソル」を練習し、約束通り現れたその女性に「白いパラソル」を披露する。その女性はいたく感動して、前田氏に1万円をくれる。

   

 これは、人は人と繋がった時に初めて、その価値が生まれるという事を身をもって知った瞬間だ。

 例えば松田聖子自身がコンサートで「白いパラソル」を歌えば、1万くらいの価値は当然あるだろう。だが、小学生の子供が、そのまま歌ったとしても、とても1万円の価値にはならない、だが、その女性のために一週間練習して、約束通りその曲を披露した前田少年の歌には一万円の価値が生まれたのだ、つまるところ、前田少年とその女性は繋がったがために、その価値を生み出した事となる。

 

 これは、人と人が繋がる時に価値は上がる事を示した例であり、これから前田氏が進むべき道を示した(作中で言えばコンパス)出来事であり、この作品のキモとなる部分である。

 

 その後前田氏は順調にエリート街道を駆け上る事となるのだが、中でもUBSという証券会社に入社した時のエピソードが私は好きだ。

 中でもUBSのトップセールスマンの宇田川氏の言動は心に刺さるものがある。

 それは前田氏が聞いた、どうやったらトップになれるのかという問いに、

 「みんなに好かれる人にならないといけない」

 という事を諭すシーンである。この子供に言い聞かせるかのような逸話は、実は真実で、宇田川氏はどこにでもファンがいて、宇田川氏のいう事なら無条件で信頼するくらいの人が沢山いるような人であったという。宇田川氏は、誰とでも挨拶し、機嫌がよく、親切で、好かれる要素を全てもっている人と思われる。

 ここでも人との繋がりが価値を呼んでいるシーンである。

 ほかにも先輩のプライドを捨てて打ち込む話とか、証券会社の営業もエリートも泥臭い仕事をしているのだなあ、と感心するばかりである。

 やがて、前田氏はUBSでトップセールスマンになっていくのだが、ギターをくれた親戚の兄の死によって、自分のコンパスを再確認する事となる。

 前田氏はものすごい努力家であり、それは出生の不幸さを言い訳にする事が無く、そして生まれだけが人生を決定付けるものでは無いという事を証明するため、日夜努力して、トップになって来たというのだ。

 そして、身近な人の死を得て、この努力する人が報われる世界を作るため「SHOWTIME」を立ち上げる、「SHOWTIME」は個人でライブや特技を披露して、その成果で報酬をもらう事が出来るシステムとなっており、それは頑張れば(そしてコンパスが間違っていなければ)必ず成果が出るシステムとなっており、そこにはプロとアマチュアも同じ土俵で戦っている。

 そして、この「SHOWTIME」で世界一のコンテンツにしてやろうと、前田氏はまた熱く語るのであった。

 

 ここまで読んでどうだろうか?「人生の勝算」良い本です。熱くなりたかったら、ぜひ手に取って読んでみてください。

 

 

   

書評「心がラクになる生き方」

 

 「生きる意味」なんて考えた事は一度はあるだろう。それが子供の戯言であっても、中にはふとした瞬間に「俺は何のための生きているのであろうか」なんて思う事があるでしょうか?

 

 ズバリ答えは「ありません」。

 生きている意味などないのです。それは本書を読めば分かりますが、そもそも我々の存在自体意味が無いのです。

 どうですか?何か意味が無いといけないような世の中です。町を歩けば「あなたに最高の意味を」とか「あなたは変われる、これを使えば」みたいな文面がならび、まるで、人生の意味があって、さらにそれが崇高なものでなければならないみたいな風潮、ますますそれらのギャップで胸が苦しくなる、そんな思いしたことは無いですか?

 

 大丈夫、全部意味が無いです。

 

 この本のエピソードにて、著者は幼少の頃、小児喘息を患っており病院に通っていたそうです。その病院は毎週母親が送ってくれていたのだが、ふと思ったそうです。

 「なぜ、母親は自分を病院に送ってくれるのだろうか?」

 「急に自分を病院には送らないと言い出したら、どうすればいいのだろう?」

 「そもそも、母親は何故自分の母親なのか?」

 「みんな役割を演じているだけではないのか?」

 

 母親は子供の面倒を見る。父親は働いて家族を養う。子供は親のいう事聞く、それによって両親によって自分は寵愛される。などは、社会の慣例であって、それを無意識で演じているだけではないだろうか?

 

 いやー普通そんな事子供は思ないだろーとツッコミが入りそうだが、著者は利発な少年であったため、そういう「自分の根拠」というのを疑うという行為に至ったのではないだろうか?

   

 そんな感じで「自分というもの、あるいは人と言うものの根拠」が揺らぎ著者の心の中には澱みのように広がっていき、やがて不安というものに変わっていく。

 

 そんな中、中学生の時、受験勉強をしていた著者は「源氏物語」の一節「諸行無常」というフレーズに出会う。

 「諸行無常」とは移り変わる世の中は、変化、消滅を繰り返すという意味だが、著者はこれを「すべてに意味は無い」と解釈します。

 

 そうです、ここで「人生に意味が無い」と再確認された瞬間です。

 釈迦の教えである「諸行無常」は古今東西そういう風に感じている人が居るという事の照明であり、また真実である。この事によって「人生は意味などない、だから肩ひじ張らなくても生きていける」と著者は思うのであった。

 

 ★ここから勝手に解釈★

 

 勿論、人生には人それぞれの「生きる意味」があると思いますので、その定義が「無かろうが、あろうが」得に関係ありません。だが、「生きている意味」なるものが逆に足かせとなったり、重荷になったりする場合はこう「意味などない」と思う事でラクになるのではないだろうか?

 我々の目に入るものは、どうしても極端なものが多い、「何々で大成功」「劇的な出会い」「ドラマテックな展開」など露出するものはそういったものが多い、まるでそのようなものでなければ、意味が無いような気すらする。

 自分の人生とは真逆なものを見れば、相対的に「自分の意味とは・・・」と考える事は自然であるが、中国の偉人老子の言葉を借りれば「足るを知る」となり、現状の自分に満足し、本当の意味というのは決して派手なものではないという事を理解しておくと良いと思う。

 

 意味を考えると、それは絶対的なものではなく、先ほどの「諸行無常」ではないが、世の中は移り変わりが激しいので、勿論人間の心も移り変わっていく、だから最初は「仕事」が意味であっても、そのうち「妻」になり、やがて「家族」と変えていってもぜんぜんOKであり、勿論「意味なし」でもなんの問題も無いのだ。

 ただ、「意味の定義」をしておくと、なにか選択するとき、それを取捨選択しやすくなるので、考えておくと良いだろう。

 例えば、私事なら昇進すると、家族との時間が減るな、と思ったら、私の場合「家族」が生きる意味なので、昇進をしないとか、(迷いは無い)このように選択するときに間違った方を選ばないので、考えておくと良いと思う。

 

 さて、「人生の意味は無い」けど「人生の意味はある」というお話でした。

 

 

 

   

書評「お金に支配されない13の真実」

 

 さて、当然ながらあなたは損はしたくないであろう。そんなの当たり前だろうと思っただろうか?更に付け加えるなら、お金に関してなら尚更そういう風に感じるであろう。

 だが、(特にお金に関して)我々はちっとも合理的では無く、むしろ不合理に行動する事が多いという事をこの本は教えてくれる。

 

 貯金が無いと頭が悪くなる。

 いきなり過激な文章だが、これはお金に余裕がないと、将来の不安のため人は精神が安定せず、かつ突発的な衝動に走りやすいと心理学では言われている。

 これはお金が無いと、目先の事ばかりに捕らわれ、将来的に大事な事を考える事が出来ず、安易な方法で結論を求めようとするという事である。

 私の友人でもお金が無くて、僅かな自由に使えるお金を逆転を狙ってギャンブルに注込むような行動を行うという行為をする人がいる。これは大体の場合良い結果は生まず、更にお金が無くなる事必須なのだが、本人はそれが最良と思っているのが質が悪い。

 また、こういう人に限って、電気がつきっぱなしを勿体ないと、真っ暗で生活しているくせに、コンビニで雑多のものを大量買いなどをしてしまう。電気を節約するより、コンビニにいく事を抑える事の方がよっぽど節約になるという事を理解していない、というより余裕が無くてそこまで考えが及ばないという訳だ。

 これを総じて「頭が悪い」と言える事で、つまるところお金が無いと、心に余裕が無くて愚かな行動を起こしてしまう、という事だ。

 また、安易にお金を稼ごうとして、マルチ商法に引っかかったり、騙されて情報商材を購入したりするわけなのだ。

   

 通販サイトを見すぎると損をする。

 1円でも安く、とか、激安とかをTVやネットで見かけると、それを求めて何時間も通販サイトを彷徨う、なんて事を行った事はないだろうか?それで手に入れた割引は、どうだろう1000円くらいだろうか。あるいは2000円くらいだろうか?

 それに費やした時間を鑑みると、どうだろう、その行動は果たして良かったのであろうか?もし、あなたが1時間彷徨って1000円得したとしたら、その時間をもっと有意義な時間に当てた方が建設的ではないだろうか?

 その時間を副業に当てたり、スキルを磨いたり、あるいは趣味に没頭したりする方が、より豊かな生活に感じるのではないだろうか?

 

 お金は経験に使ったほうが良い。

 経験とは不思議なもので、辛くても時間が経つと美化されるという特徴がある。これは人間の特徴であり、辛い事がそのまま辛いままでは、とても生きてはいけないからである。

 また、同じ金額でものを買ったとしても、買った瞬間から幸福度は落ちていき、3日も経てば、何も感じなくなってしまう。ところが、経験は時間と共に輝きを増し、心が豊かになっていくのだ、だから物は最低限のもので大丈夫なので、経験にお金を使おう。

 

 「お金」は道具であり、それ以上でも以下でもないが、私たちはそれらを制御できず、お金に踊らされている訳ですが、お金を必要以上に崇拝するのは間違っていて、こうゆう本などで学んでいかないと、いつの間にか「お金の奴隷」になってしまうので、意識して暮らしていきましょう。

 

 

   

書評「シン・ひろゆきの未来予想」

 

 本日は2ちゃんねる創業者の「ひろゆき」こと西村博之氏の著書「シン・ひろゆきの未来予想」を解説していく。

 著者はネットの界隈では結構な有名人であり、別名「論破王」と呼ばれている有名人であり、幾つも本を出しているが、私が読んだのはこれが最初ですので、他の本もそういうスタンスかどうか分かりませんが、読みやすい内容ではあると思います。

 西村氏はネットを見ているとたまに話題に出てくる人であり、私自身あまり興味がなかったので、あまり気にした事は無いのですが、結構歯に衣着せぬ口ぶりで若者よりちょっとおっさん世代に人気がありそうです。

 現代における正義である「効率化」などを説き、比較的飄々とした語り口で昔ながらの価値観を否定していくのは、中々気持ちが良い事であり、今回のテーマである「未来予測」はエコノミストが言う事とあまり大差がないけど、より浅く広く語られていて(ある意味当たり前の事だが)気楽に読めて楽しめるものではないだろうか。

   

 日本の未来は暗い

 ひろゆき氏に限らず、日本の未来は悲観的な事が書かれている事が多い。ひろゆき氏もそのあたりは例に漏れず、人口減少を始めとする原因のため、暗い未来が往来する事を予測している。また、それらを理解して準備を整える事が必要であると説く。

 大多数の経済学者が言うように「人口の減少」は経済効果としては致命的であり、日本は2053年には1億人を切る事が予測されている。

 人口が少なくなれば、当然内部需要が少なくなり、国内経済は縮小してしまう。人口が少なくなれば当然、マーケットが無いため外国商品も最先端のは入ってこなくなる。経済が停滞し、ものがなくなる未来が予測されるという事だ。

 これは経済の点での、幸か不幸かを判断しているので、個人的な生活が不幸になるかは不明ですが、少なくとも経済的には今と同じ生活というのは出来そうにありません。

 

 生産者と観光業

 内部需要として決して無くならないのが、1次産業。具体的には農業あ漁業だ。テクノロジーが発展して、AIに仕事が取って変わられても、人間はアナログであるため、必ず食物は摂らないと生きてはいけない。農業は無くなりようがない産業であると氏は説く、また日本にはまだ外国人が好むコンテンツとして観光があるので、観光業は日本と言うコンテンツが価値がある少ない部門なので、将来的には仕事はあるのではないかと言う。(今はコロナで低迷しているが、いずれは収束する)

 逆に単純作業、例えば「経理」「梱包」「バスやタクシーの運転手」などの職業は機械ないしAIにとって代わられる確率が99%であるという。

 

 都市部に住む事が重要

 経済が停滞してくると、田舎での生活はインフラが未整備となり、かなり住みにくくなる。路線が廃止されたり、病院がなくなったり、いろいろなサービスが受けられなくなる可能性があるからだ。地方都市は今後ますます合併、消滅を繰り返して減っていくと考えられる。

 

 教育こそITを利用する

 日本が一番遅れている分野であり、教育でも自己啓発でもITを使えばかなり分かりやすく、効率も良いのだが、未だ日本は紙の媒体を利用して、記憶力重視の教育を行っている。これでは諸外国と差は開くばかりであり、教育と言うシステムを諸外国と同じかそれ以上の環境を整える必要があると説く。

 確かに文章で説明するより、動画やインタラクティブな媒体の方が、分かりやすい事も多いし、タブレットを支給する事で、その一つだけで教科書は全部入るし、そもそも何等かの理由で学校に通えない子供たちもオンラインで学ぶことが出来ると良い事ずくめである。インターネットに関しては子供が使う事に抵抗がある親もいると思うが、どの道ネットは見る事になるので、最初からどういった危険があるか教育をするべきなのである。

 

 いろいろ面白い考察が書いてあり、私自身「ひろゆき」氏の事はあまり知りませんでしたが、売れている理由が分かる内容でした。

 

   

書評「10分で自分を浄化する方法」

 

 マインドフルネス。最近よくこのワードを聞く、それは私が疲れているだけなのか、いつも癒しを求めているためなのか分からないが、とりあえず、外資系から「これいいぞ」的に始まった、いわゆる「瞑想」の事なのだが、「瞑想」と書くと何だか堅苦しい感じがするので、やはり「マインドフルネス」という風に横文字のほうがとっつきやすい。

 元来「瞑想」は仏教国の日本では当たり前だが、その良さが長らく忘れ去られて来た。勿論修行僧はずっと瞑想をしてきたであろうが、一般社会では、贖罪のように何時間も座禅を組んで、集中して行うイメージが強いからだ。

 ところが、欧米で「瞑想ナイスじゃない~」的な発想でその効果を科学的に立証したあげく、日本より流行らせ、故に逆輸入されるという顛末である。

 これは元々日本の得意分野であった「瞑想」をもっと我々を取り入れようではないでしょうか。とここまでが前置きである。

 

 マインドフルネスの本は星の数ほど、今回の「10分で自分を浄化する方法」は比較的簡単に実行できる本ですので、最初の一歩として良いのではないでしょうか?

 

 瞑想はメリットしかない。

 

 瞑想は色々なメリットがある、本書では12個の利点があるとの事だが、一番はやhり心が落ち着くという事であろうか。

 我々は、過去でもなく未来でもない今を生きている。今以外は必要ないと言っても良い。ところが、現代社会の多忙さは、いつまで経っても過去の恥部を思い出させたり、未来の不確定さを憂いだりしてばかりだ。

 だが、我々は今を生きているのだ。過去は変えられないし、未来はまだ来ていない。未来が来ても、その時はまた次の未来が気になる。だが、未来がやがて現在になるように、それではいつまで経っても一番大事な現在を精一杯生きていない事となる、だが、そこで「マインドフルネス」ですよ。

 

 呼吸を整え、自分と向き合う。

 マインドフルネスのテクニックは色々言及がるが、大体の本は腹式呼吸で行う事を前提としている。本書は浅い呼吸でも良いとされ、この呼吸の敷居の低さが良いと思う。

 まず、ラクな姿勢で座り、ゆっくり呼吸をする。これだけである。

 初心者だと、まず腹式呼吸が難しい。そればかりに心が捕らわれ、集中できない何てことがあれば、本末転倒である。まず、自分の呼吸に集中する事である。

 呼吸に集中する事で、無駄な意識を遠のいていく、自分の体を空気が循環しているのを感じながら、頭からつま先まで自分の体を感じると良いです。するとあら不思議、雑多な生活が消えていき、スッキリしてきます。勿論最初は中々うまく行かないけど、しばらく続けていけばコツがつかめてきます。

 10分で完了ですが、最初は10分どころか、3分でもうまく行かないが、段々長く出来るようになるので安心してください。

 

   

書評「結局、しつこい人がすべてを手に入れる」

 しつこい人。私はしつこい人が苦手だ、しつこい人は自己中心的な人が多く、自分の言い分が一番正しいと思っているフシがある。だから、同じことを何度も言ってくる人を心底敬遠しているのだ。だから、本書「結局、しつこい人がすべてを手に入れる」をタイトルだけで、敬遠していたのは事実だ。

 だが、中々気になるタイトルではある。しつこい事がマイナスのイメージしか持っていない私は、どのような風にしつこい事が有益なのか知りたいので読んでみたのだが、

 

 結果、私の思っている「しつこさ」とは趣が違うものであり、ここでいう「しつこさ」とは、いわゆる継続の事であり、松下幸之助風に言えば、「成功するまで続ければ、失敗しない」という当たり前だが、難しい事を推奨しているという事であった。

 

 ここまでだと、ただの根性論的な話かと思われるが、確かに多少そういった精神面の側面はあるが、それを具体的にどうすれば良いかを書いてある良書であるが、そのような行為を「しつこさ」と呼ぶのはどうかと思う。

   

 「しつこい」はあきらめないと同義語である。

 先ほども記したように、諦めなければ物事はずっと継続しているので、失敗はしないという何だか狐に抓まれたような話だが、本書ではそれをロジカルに説明する。

 そもそも困難すぎる事を継続するのは無理な話であり、本書では、まず、継続する事柄を「楽しくする」「簡単にする」「効果を確認する」という事を記している。

 まず、仕事の何かを継続して成功させたいなら、楽しくする事が重要である。現代では生産性や効率が善とされているので、それらを突き詰めていく事が推奨されているが、その結果、仕事の楽しさなどが失われたという。そもそも仕事の楽しさとは、意義を感じる事であり、現在行っている仕事の意義を再設定してみる事を考えてみよう。

 同じ仕事でも、やらされていると感じる人と、この仕事をやる事で誰かの役に立っていると考えるのでは、やりがいの質が違う。このように、誰かのためになっているから、、みたいに意義の再考をまずしてみよう、それだけでやる気が出てはこないだろうか?

 第二に「簡単にする」その仕事が複雑な工程を挟んでいるなら、それを簡略化出来ないか考えてみる。なんでもそうだが、いちいち何かを出して行うより、すぐ出せるものの方が使うようになるのと一緒で、直ぐ取り掛かれるようにしておくように準備しておく事が重要である。

 また、この時間になったらこうするみたいな、こうなったらこうするというフォーマットを作っておき、そのタイミングが来たらそれを問答無用で行うという事をするのも効果的である。ただし、その時間やタイミングになって、「こうした方が良いかな」的な考慮を挟む事は厳禁で、機械的にそれを行う事が重要である。

 「効果を確認する」は記録を取る事で、自分の行動の効果が目視できる。この効果を確認できる事は継続する上で重要で、ゲームでも自分のステータスを確認して「ここまでプレイしたなあ」なんて感慨深く感じる事もあるくらいなので、それが実人生であればその感慨もひとしおという事である。

 

 これらを数ヶ月続ければ、習慣となり、その結果あなたは「しつこい」人となる事が出来るという訳だ。

 くどいようだが、私は「しつこい」人は嫌いだが、何かを継続している人は心の底から尊敬している。

 

   

 

2021年10月06日睡眠記録

 

 

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不眠という項目が出てしまいました。

寝付きが悪いのは、ベッドに入ってからキンドルで本を読んでしまったからですかね。(しかも楽しい冒険ものでした)

睡眠総時間:7:32

深い睡眠:1:14

覚醒時間1:37

浅い睡眠:4:40

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miband6に怒られてしまった。