ジャンクな脳と記憶

本を通じて人生の幸福を考えています。

自分が原因と考える

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さて、今回は「自分が原因」という観念を考える。日常社会では、不確定要素がありすぎて予定通りにならない事は日常茶飯事であるであろう。ましてや、他人の因子が加わる事で、その確率はぐんと上がる。

 その失敗は誰かがミスをしたせいであり、自分は完璧に行ったのに!と考える事は多いと思う。頼んだもの、依頼したものが他人の雑な仕事のせいで、うまく行かない。その時あなたはどう思うであろうか。

 

 「あいつの所為でうまく行かなった」

 「俺の所為じゃない」

 

 そういう風に思う事は自然であり、まぁその通りであるのだが、ここで、視点を変えてみて、すべての出来事は、

 「自分に原因がある」

 と考えてみてはどうでしょうか?

 

 他人の所為にするという事は(もちろん本当にそうであっても)もうそれでその失敗は失敗のままであり、学ぶことが少なくなるという事であり、そこを自分の過失であると認識を変えると、どうしてそうなったかを深堀できる。

 

 他人が期待通りに動かないと、大変なストレスだが、(ましてや失敗などすれば)そもそもミスを犯しそうな人に仕事を頼んだ時点で、自分の過失である、と考える。

 そうすれば、他の人に依頼したり、あるいはミスを犯しそうな人には注意深く確認する事で次からは回避できるかも、と対策が打てるという事なのだ。

 

 そもそも、請け負ったものの総合管理は、やはり請け負った人にあり、それを

 あの人がやらなかったから、とか

 あの業者がヘボだから、なんて愚痴を言ってもまるで生産的ではないからだ。

 

 マイクロソフトビルゲイツは、秘書に花を依頼し、正確に何日の何時何分に届けよと託をする。秘書は必ず、2つ以上の花屋に予約をとり、万が一1つ目の花屋が何らかのミスで届かないなんて事があっても大丈夫にするという。(ビルゲイツの指示を完遂するためなら、コストなど関係ない、そして用意できない理由をビルゲイツが聞き入れる事もない)

 つまり、上記の件だと自分は手配したけど、花屋がミスをしました。自分は悪くありません。という事になるのだが、マイクロソフト社では、それを含めて依頼された本人の所為という事になるのだ。

 

 まあ、マイクロソフトの件は聊か大袈裟だが、要するに自分が原因と捉えると、うまく行く事もあるのではないか、というお話でした。

 

 *ちなみに、自分が原因という事でふさぎ込んだり、自責の念などに捕らわれると思考停止になってしまうので、自分が原因だが、自分が悪いわけではない(微妙なニュアンスだが)という事を忘れないように。