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年賀状という遺物

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もうすぐ正月である。正月については語りたい事があるが、今回はその年賀状という遺物について語る。

年賀状といえば元旦につく所謂挨拶状で、大して意味もない事が羅列してある葉書なのだが、昔はそれなりの意味があったと思われる。

今より通信手段が貧弱だった頃、葉書や手紙は相手に伝える常套手段であった筈だ。今ではSNSやメールの出現によって、その元々の意味は薄れたのであろう。そもそも常時接続で好きな時間に相手に連絡がとれるのだから、そもそも人力で運んでいる葉書がそれに勝ることなどあるはずはないからだ。

 

で、ここまでが一般論だ。手書きの方が心がこもっている理論*1の方はそのほうが良いのであろう、だが言い換えれば手段の違いであって相手が送って来る言葉に、アナログもデジタルもないのではないだろうか?大事なのは相手を気遣う心であり、その経路ではないはずだ。

まあ、私がこんなことを言わなくても自ずと年賀状はジリ貧になっていくだろう。そうすれば郵便配達の人も少しはラクになるのではないだろうか?

まあ、そういう年賀状みたいなものが情緒みたいなもので、楽しんでいるならまだ良いが、ほとんどの人は政治的な事で書いているのではないだろうか?会社の取引先やお客さんなど、送る方も貰う方も「別に」どうでも良いものであったのなら、もうせーの!でやめた方がお互いの為になるような気がするのですが、どうやらそれは許されない事らしい。

日本中、年賀状やら歳暮やら「賄賂」「収賄」の原型と思われるものは取っ払って、本当に送りたい人だけにすればいいのにね!

 

*1:この手の事を言う連中はパソコンなどを血の通わない冷たい機械で、人の力が一番温かみがあるという謎の論理に毒されている