生産性と自主性
今日は「生産性」と自主性について語る。どちらも日本企業が苦手とする分野ではないだろうか、未だに、FAXが幅を利かせていたり、上司が何となく個人の経験での物の言いよう(数字や分析をせず、ただ何となく命令を出す)そしてやたら忖度発言が多いようなら、おめでとうございます、あなたの会社はかなりの後進会社、今回のテーマである「生産性」に問題があると思われます。
生産性は国際的なデーターにも表れていて、36か国加盟しているデーターで26位とダントツに低く、個人的にも意味ないなと思われる仕事があるのではないでしょうか?
次に「自主性」ですが、なぜ「生産性」と「自主性」を同軸で語るかと言うと、これらは密接につながっているからです。
どういう事かと言うと、主足る日本の会社はすべて忖度で出来ているような場合が多いのではないだろうか、中間管理職あたりから、上司の顔色しか窺がわない人は居ないでしょうか?彼らはそうする事が生き残る最適な手段である時代の人の場合が多く、これまでは合理的であったと思われるが、完全に思考停止していて、上に立つスキルというものが全く欠如している。
具体的には、利益より、上司の耳障りの良い事ばかりして、会社や個人に不利益を与えているという事だ。
本当は顧客から見れば、こうした方が良い事を、そういう視点ではなく、上司に気に入れれるだけを焦点した行動をとり、結果「生産性」も悪くなる、とい事だ。
あなたの周りにもいないだろうか、そういう人。これは、会社という組織を蝕む恐ろしい病原菌である。そういった人はモラルに欠け、権力にしがみつき、高圧的な場合が多い、そもそもそういう輩は「利益になる人が認識しないと、それはやっている事自体が無意味」と考えている可能性がある。
つまるところ、「誰かが承認していない事は無意味」という発想はモラルの欠如に繋がり(誰も見ていないところでは、平気でゴミを捨てるような人だ)そういった人が束ねている組織は、「そういう風に生きていく方が正しい」と思わせる人たちを量産し、結果、企業力が失われる事となるのだ。
また、そのような価値観の中では「言われた事だけをやれば良い」と考えるに至って、さらに「生産性」が失れる。忖度するようなものが、うまく組織をまとめられる訳がないからである。
おそらく建前だけ見せていた「東芝」や「三菱自動車」などの顛末を見れば明らかではないだろうか。
皆さんはそうならないように「自分で考えて仕事をしましょう」