メディアミックスの呪い。魍魎戦記摩陀羅。
今回はコナミから発売されていたファミコンソフト「魍魎戦記摩陀羅」について書く。実はこのコナミというソフト会社は、当時はRPGは全くダメとされていたソフト会社であった。だが、満を持して発売されたのが「この摩陀羅」だったわけだ。
やたら漢字が多い、このタイトルは当時はまだ珍しかったメディアミックスという体をとっていたと言うことで、当時ファミコン少年であった人は「ゲームは知らないけど、漫画なら知っている、とかアニメとかになっていたよね」みたいな感覚であると思う。
ゲーム、漫画、アニメなど今ではコラボは珍しくないが、当時としては中々野心的であったのではないだろうか。
ゲーム自体はオーソドックスなRPGで、いわゆるドラクエ的なシステムであったが、ドラクエが全体的にニコニコ調なのに大して、この摩陀羅は少しダークな雰囲気を醸しだしているようであった。
ただ、音楽がやたら格好良くて、カセット(!)の中に音源チップを別に組み込むという荒業で、ファミコン以上のサウンド感を出していた。
そんな気合の入った盛りだくさんの摩陀羅だが、やはり漫画を原作に持ってくる作品の限界がこの作品にもあった。
まず、漫画とゲームのグラフィックが違いすぎる。
当たり前だが、原作を読んだあとこのゲームをしても、よほど想像力というデバイスが働いていないと、そうは見えないであろうし、原作と同じストーリーなら、おおよその展開がバレてしまうから、緊張感もあまりなくなってしまう。
だからといって、アナザーストーリーにすれば、そもそも「摩陀羅」というタイトルでなくても良いし、原作のファンを取り込むのは難しいだろう。
だから、原作を超えるものは中々難しいのだ、それが漫画だとすると余計、漫画の絵が浮かんでしまうので厄介であろう。
身も蓋もないが、この頃のファミコンはRPGの佳作が多く、この作品も言わば「ファン」とファミコンの音楽好きなマニアのものと言える。
そして、摩陀羅はシリーズが出て続けていたが、誰も最後を知らないが、そもそも掲載誌がいつ無くなったのか誰も知らない。
スターウォーズよりスターラスター。
スターウォーズの最新映画が公開されて、おそらく本国ではスターウォーズフィーバーが訪れているのであろう。
私個人としては、有名ドコロのキャラクターは知っているが、どうも更におっさん世代の映画のイメージがあり、あまり知らない。
エピソードがバラバラに公開される意味も不明だが(きっと意味があるのであろうが)なによりも、なんでいつも戦争をしているのか、いまいち知らないし、調べようとも思わないのである。
そんな事を言うと、スター・ウォーズの素晴らしさを説こうとする奴らが必ず現れるのだが、このパターンは野球やスノーボード、あるいはカメラなどのスポーツや趣味の事を勧めるやつと同じで、本人に興味が無ければそもそもウザったいだけなのだ。
またこういったPC関連の事を聞いてくるくせに、
「フーン。なんか難しいんですね」
とか、
「いや、オレそういうの苦手なもんで」
と言ってまったく覚えようとしない奴にも同じことと言える。
であるわけで、久しぶりにレトロゲームの話題で今回は
ナムコの「スターラスター」を取り上げようと思う。
ファミコンで1985年に発売された擬似3Dのシュミレーションゲーム(なのか?)である。
この頃のファミコンを考えると、なかなか渋いゲームであったと思う。ファミコンの非弱なグラフィックで見事宇宙を表現した傑作ではないだろうか。
じつはこのソフト、コクピットから見た視点で宇宙を彷徨い、惑星間ワープを利用して敵をなぎ倒していくゲームなのだが、敵は4種類ほどしかおらず、音楽もほとんどなし、計器の音がするだけで、まさに暗黒の宇宙に放り出された感覚が体験できる凄いソフトなのである。
肝心のゲームバランスは、あくまで玄人向きで、大したヒントもないためかなり難易度が高い。
だが、眼下に広がる宇宙の広大さと、バッツーラと呼ばれる謎の敵対勢力、レーダーを頼りに戦う戦闘など
まったくメインターゲットの小学生を置いてきぼりにした凄い作品なのである。
だが、当時はこういう商業的にどうなのかという攻撃的な作品があり、その中でも宇宙を舞台にしたリアル系ではこの作品が黎明として記憶に残っている。
蛇足だが、ゲームオーバーになった時のでる階級がカッコよくて、このゲームのセンスのよさを表しているように思える。
国民的アイドルはいつでもムチムチ、ドラえもんギガゾンビの逆襲
ドラえもんのRPG。キャラ物は大抵コケるが、このソフトはゲームとして完成度が高い。
故・藤子F富士夫先生は偉大だったと改めて思う。それはドラえもんを紐解くまでもなく、彼の作品を読めばその偉大さに改めて気付かされるのである。
そもそもドラえもんでは、少年漫画の一つのフォーマットを確立した作品であり、初に為て王道ときたものだ。(主人公が冴えない少年であり、いじめっ子的なキャラ、金持ちキャラ、優しいヒロインという小学生漫画のお約束配役は、このドラえもんからスタンダートとなった筈だ)
そんなドラえもんは、藤子先生の意向によって出て来る小物は全て存在している物をモチーフにしているとの事であった。それは、子供向けだからと言って手を抜かない真摯さが、彼の漫画には現れていて、それが人の心を打つのであろう。(登場する植物も図鑑を見て描いていたらしい)
なんでもそうなのだが、子供向けという事で舐めた製品はヒットする事は無いと断言出来る。子供向けのヒット商品を見てみると、以外に大人でも楽しめる物が多いと思う。逆に子供向けで馬鹿に為たような内容のものは、やはり子供にも相手にされないし、そういう作り手は、なんだかんだで子供を舐めているのだ。
いまやドラえもんも一大産業になってしまった感があるが、藤子先生が居なくなった今でも子供たちの心をがっちりつかんで居るところを見ると、藤子先生の意図は受け継がれているであろう。
そしてこのドラえもん、ギガゾンビの逆襲はまさかのRPGであったが、エポック社という負のイメージからヤバい感じがするが、中々の良ゲームであり、名作といっても過言では無いだろう。
ドラえもん自体、よく考えるとRPG要素があるストーリーなので、のび太と仲間たち、ドラえもんの道具が魔法と考えれば、ストーリー展開も自然なものとなり得る。この作品はドラえもんの世界観を良く考えてデザインされているなあ、というのが正直な感想である。
なかなか大人になると、ドラえもんはちょっと、、、と言う方多いと思うが、是非エポック社には「藤子F不二雄SF短編集」を題材としたソフトを作ってもらいたいものだ。
マジで名作。このシリーズはオススメ。
いつも訪れないラストハルマゲドン
もとはパソコンゲームであった。あらゆる機種に移植されたが、難易度もパソコンゲーム同様高かった。
ラストハルマゲドンとはどういう事だ?元々ハルマゲドンは終末の意味であろうが、それがまたラストとは、まるで、いつまで経っても閉店しない、*1紳士服の店みたいだ。
それはさておき、終末思想は今も昔も人の心を鷲づかみしてしまうらしい。それは*2五島勉が宣う前から決まっていたらしい。
そもそも、この終末思想ってやつは、
「ああ、明日、数学のテストだから、学校に雷でも落ちないかな」
とか、
「明日、得意先に謝罪に行かないといけないので、会社雨で流されないかな」
的な思想と大差がない。
所謂、不可抗力であれば自分の所為ではないので、言い逃れできるという姑息な感情であり、そのスケールが大きいバージョンがラストハルマゲドンなのである。
恐らく、元ネタは新約聖書の黙示録であろうが、この黙示録と言う奴はどうやら、ヨハネという男が中二病を炸裂させて書き上げたものくさいのだ。
他の項目とあまりに違いすぎるし、大体天使がどうのこうのとか書いている時点で、中学生の頃友人が書いたオリジナル小説とあんまり代わりが無い気がする。
友人の文章の方が、子供が書いた文章と言うことでは救われるであろう。ヨハネのやつは2000年も前から、ファンタジー系の中二病なのだから始末が悪い。
まあ、とにかく昔から終末思想は、何年に起こるとセンセーショナルに騒がれるが、内容的には、「明日、会社に行きたくない」くらいのレベルなら、なにもハルマゲドンまで持ち出す事はない。
モンスターを操り、出生の謎にまでたどり着く。
日陰者であった怪物にライトを当てた野心的な作品であった。
スマホ=人を繋ぐ道具か、ゴルゴ13神々の黄昏
ライフルを構えるゴルゴ13。人を多数殺めるとこのような厳つい貌になるのであろうか。
先日、友人のスマホが壊れたらしい、彼に連絡を取ろうとしても、謎の女のガイダンスが流れるだけで、いっこうに繋がらない。
さて、この携帯電話というやつは、今の世代なら必ず必須という事だろうが、私のようなおっさんは、
「スマホなんか無くても平気!」
なんて、息巻いていたが、そもそもスマホが無い奴にもはやどう連絡していいか分らなくなっていた。
彼は親と同居なので、いざとなれば自宅に電話をすればいいのだが、もはや自宅電話など化石かしており、わざわざ重要事項でもないのに自宅電話に掛けるには気が引けるような気がするのである。(だったら、別にいいかな、と思って諦めてしまう)
ところが、数日後私のスマホに突然彼から電話があった。
彼によると、スマホを紛失したので連絡が取れない旨と、連絡はこちらからするという事が伝えられただけであった。
携帯を無くしただけで、この有様なので、我々の生活はテクノロジー一辺倒になっているのか、、とCWニコルは嘆いたかどうか知らないが。確かにこの電話と言う奴は、恐ろしく進化して、そのうち歩き出すのではないかと思える位だ。
グラハム・ベルが発明したこの電話と言う奴は、一種のテレポートである。自分の意思をその場ではなく、電話を通じて移動させる事ができるなんて、考えれば凄いことだ。
だが、この便利な機能も使い方を間違えると、目も当てられない事となる。
原子力が元はレントゲンが発見した、人を直す機械であったように、それは兵器などに変換され、その顛末は知るとおりだ。
電話も元は、
「遠方の人に心を伝える」
というのがあったのであろうが、今私のところに掛かって来るのは、
「この前の案件だけど」
「あの、請求書の件は」
「顧客のどうのこうの」
「休みだけど会社来て」
みたいな、ある意味兵器じみた嫌がらせばかりだ。
しかも、電話がポケットに入るようになってからは、日中問わず、
「うへへへへへっへ、早く電話でなよ~」
的な呼び出し音を立てて、私をすぐ仕事へ引き戻すのだ。
この電話という奴は、それを通じて擬人化されやすく、相手が本田翼さんのような方であれば、
「早くでてね!」
的なカワイイ奴になるのだが、私のところに掛かってくるのは、おっさんかおっさんかおっさんしかいないのだ。
なんだが、とりとめもない話になってしまったが、とりあえず電話が壊れた友人は彼の方からしか、連絡できないのでいつしか「ゴルゴ」と呼ばれるようになっていた。
何故かカメラ目線のゴルゴ、あの眉毛は手入れしているのであろうか
リーゼントと熱血硬派くにおくん
和のステータスが味を出している。不良が文化まで発展した例だ。
硬派という言葉があるが、これが使用されるときは、あまりない。
冗談でおっさんが、
「いやー、俺って意外に硬派だからさー」
なんて、飲み屋で聞かれても居ないのに、若い女の子に言ってしまうときに位しか、登場はしない。
さらにおっさんは、当時のことを知らないことを良いことに、
「オレも昔は、そうとう悪かったんだぜ」
的な話が始まったら、注意が必要である。おっさんは、何故か悪ぶるのがかっこいいと思って居るフシがある。実際は、学校内で同じクラスにヤンキーの友人が居ただけでも、自分がそうであったような口ぶりをする事がある。
「あの頃を思えば、オレも丸くなった」
若いことがイコール無謀さと言うのは、おっさんがかかる熱病であり、中二病ならぬおっさん回帰病である。
おっさんにとって、若い時に冒険していた事を武勇伝として語る時は、
おれは今の若者みたいに、保守的じゃ無いよ、でも今は人の心が分かるすてきな大人なんだよ、的な意味合いの事が含まれている。
実際、相当悪い人が、たまに良いことをすると、ニュースになるが、普段からいい人は記事にはならない、そんなものである。
だから、おっさんは「盗んだバイクで(本当は盗んでいない)走り出す」的な話をしたがるのである。
これは、90年代くらいにはやった、ヤンキーブーム(主に少年マガジンの影響かと思われる)に事を発し、ヤンキーは不器用だけど誠実てきなイメージを持っているからであろう。なんせ、男はこの「拳でわかり合う」とか、理屈なんてかんけいねえ!的なシチュエーションが大好きで、その好事は大人になってからも変化はないということなのであろう。
ちなみに、私は、根拠もなく、根性だけで営業目標を決める輩を、心のそこから軽蔑している。
だから、誰かが「理屈など必要ない」的な発言をしていたら、それは熱血硬派くにおくんのような世界観をもっている可能性がある。
そういう奴は、実際は格好だけで、じつはただのナルシストであるかもしれないので、注意が必要である。
喧嘩、リーゼント、学ランと全てそろった。乗り物はもちろんバリバリマシン(バイク)だ。
透けてるのは女子大生だけでいい。沙羅曼陀。
意外にアーケード版によく似たタイトル。多少のアレンジこそあれど、移植率は高い。
スケルトンカードリッジ。
それは、単純に中身が透けている(透明のカードリッジ)訳ではなく、それ自体がデザインであり、文化であると言うのは言い過ぎか。
ともかく、コナミから出ていたグラディウスの続編、沙羅曼陀のカセットはそう言う仕様になっていた。このスケルトンカードリッジは、ゲームとは何の関係もなく、当然スケルトンだろうが、マミルトン*1だろうがシューティングゲームとしては、別になんてことはないアーケードからの移植である。
だが、その後に来るiMacなどの空前のスケルトンブームを先取りしたと言う点では、なかなか凄いのではないだろうか、当時スケルトンと言っても何のことだか分からない御仁も居ただろうが、スケルトンが所謂骸骨、骸骨は透けているからスケルトンというダジャレにも通じる事から、透けるトンでいこう!とコナミが言ったかどうか知らない。
「いやー、この沙羅曼陀、ゲームとしては中々、及第点なんですが、なんか地味なんですよね」
「そうか、だが、もう納期が近いから、ゲーム内容を変更する訳にはいかないよ」
「そうか、なんかウリはないのかな」
「内容は普通だから、どうせならカードリッジに特徴を持たせようか」
「でも、赤色とか紫とかはもう使われていて、インパクトがないよな」
「ん、どうせなら、透明でスケスケにしたらどうだ」
「ああ、なんかスケスケってやらしいですね、そうしましょう」
ときっと、コナミの会議室で開発と営業で話し合いがあったに違いない。
そして、スケルトンカードリッジはこの世に産声を上げるのだが、このゲームこのスケルトンカードリッジしか覚えていないんだよなあ。
*1:マックスむらいという、赤い服を着たおっさんの取り巻き、女ということ以外知らない