ジャンクな脳と記憶

本を通じて人生の幸福を考えています。

もう仕事辞めたい病が再発!本当にもうあかんとき「そろそろ会社辞めようかな」

今回は実生活とリンクする内容である。

実を言うともう疲れた。

昨年の繁忙期にて、ひと月で3キロも痩せてしまって、睡眠不足のため究極のマイナス思考に陥ってしまい、「もうアカン、もう死ぬしかない!

ぐらい思いつめてしまった。

人間忙しすぎると、思考が停止してしまうのは本当で、もう「逃げ出す」事しか考えが及ばなくなるのだ。

 

いつもなら、嫌な事を言う上司を妄想でぶっ殺して、ストレスを解消するのだが、もう何百回殺しても、足りないくらい超過ストレスであった。(継続中だが)

 

最近は節約と言うより、どちらかというとミニマリスト気味になっている私は、もう全く物に対して(端的に言えばガジェット好きであったのだが)欲求がなくなっているので、給料が下ってもいいから、余暇が欲しい気分なのだ。

 

つまり、成功とか出世とか、もうどうで良いのに、あたかもそれに興味があるように生きるのは、ちょっとしんどいのである。

 

岸見一郎の「成功ではなく、幸福について語ろう」という本があるが、成功と幸福は一致するものではなく、むしろ成功は幸福と相容れないものなのである。

 

自分の望むことをよく考えると、自ずと道は見えてくるのであろう、気付くのが遅すぎたという人もいるが、気付くことに遅い事もなかろう。つまり自分は毎日が辛い日々は御免であり、健康と家族、趣味に残りの人生を捧げたいと思う所望なのだ。

 

山本揚平の「そろそろ会社辞めようかな」は仕事を辞めた後の世の中をサバイブする方法論が描かれた作品だ。無論、そんな大げさに考えなくても「少しラクという方向で仕事を探す」というだけで、心が救われる人は居ると思う。

つまり、別に起業とかしなくても、人に誇れる仕事でなくても、万年平社員でも、

毎日の心が健全ならそれはそれで良いんじゃないか?

つまり、数々の書籍とか成功哲学とかは、本にするならそれなりの事を書かなくてはならないのだが、そんなものは糞くらえ!だ

Mr.childrenの「タイムマシーンに乗って」にこんなフレーズがある。

「人生はアドヴェンチャー、たとえ踏み外しても、結局楽しんだ人が勝者です

 

そうです。まるで何かの苦行する事が正しいみたいに喧伝されているが、僕たち心のまま楽しむ事がすべて楽しいのです!

 

 

地獄の沙汰も金次第?法多山に行ってきました。

静岡県袋井市にある法多山に行ってきました。この法多山は尊永寺というお寺があり、そこは団子が有名で(後述)尊永寺は厄除け祈願が有名な寺である。

 

いきなり幾つかの駐車場が存在しており、客引きも激しい、奥に一番近い駐車場があるのだが、そこに行くまでに各駐車場の係員に誘導されてしまう確率が高い!

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車を降り、参拝道と書かれた看板を頼りに道を進みます。途中には出店がいっぱいありますが、本日は平日なのでお店はやってません。残念(やっていても買いませんが)中には著作権大丈夫かな、と思われる出店もちらほら・・。

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参拝道

 参拝道を抜けると、いよいよ門です。

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門を抜けると、しばらく遊歩道みたいな道が続きます。この日はいつもより暖かいので、とても気持ち良く歩けます。

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参道

脇には小さな川が流れていて、なかなか雰囲気があります。

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脇の小川

暫く歩くといよいよ階段が見えてきます。

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本堂に続く階段

以前香川県の金毘羅山に上った事があるが、それよりは全然まし、それでも運動不足の場合は息が切れるのではないか、と思う。

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本堂が見えてきました

階段を上る事数分、ようやく本堂が見えてきました。階段や途中にある休憩所は中々綺麗に整備されています。

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本堂

階段を上がると本堂が、左手には手を洗うお清め所が、正面の灯篭わきには護摩が焚かれていました。

地下ににある、祈願受付に受付をして、数分後にご祈祷が始まるのですが、ここは撮影NGなので写真はなし、とりあえず、太鼓の音がでかい!

読経しているお坊さんのギャラはいくらなのかとか、袈裟の色は位によって違うのかとか余計な事ばかり考えてしまい、全然集中できません。

激しいドラム?と読経の競演が、このご祈祷はショーである事を再確認します。

そして、オリエンタルランド経営のディズニーランドのアトラクション「ミニーオーミニー」をなぜか思い出します。あの時のミニーの放ったセリフ「古臭くて、退屈なの・・・」がなぜかお坊さんの読経と重なります。

 

そんなわけで、絶対ご利益が失われた感が心を支配された、ご祈祷だが、一応お札付きで、一祈願3千円からなので、地獄の沙汰も金次第、まさに免罪符状態です。

でも、まあショーが見れたので良かったとも言えます。

 

帰りには茶店に厄除け団子をいただいて、帰路に変えるとします。

この厄除け団子、かなり旨いのでこれを食べに来るだけでも価値はあるのではないだろうか?1セット200円と中々良心的です。

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厄除け団子

 

てなわけで、静岡県袋井市の法多山に行ってきました。

 

 

 マップのリンク

 

ホラーなのにちゃんとミステリー「ぼぎわんが来る」「ずうのめ人形」「ししりばの家」

今回は澤村伊智の「比嘉姉妹」シリーズの三部作「ぼぎわんが来る」「ずうのめ人形」「ししりばの家」をおすすめする。

これらはジャンル的には「ホラー」に分類されるが、読んでみると分かるが「ミステリー」的な要素が含まれている良作であり、読み始めると一気に読破してしまうほどの面白さである。

単純な、呪いとかではなく、その得体のしれないもの+人間の悲しい性みたいなのを融合させ、見事に昇華させた作者にはただただ脱帽するばかりである。

 

なによりもタイトルの奇抜さ「ずうのめ」「ぼぎわん」「ししりば」この名前の由来はちゃんと本の中に言及があり、ああ、なるほどと思えるものである。

 

幸せな新婚生活を営んでいた田原秀樹の会社に、とある来訪者があった。取り次いだ後輩の伝言に戦慄する。それは生誕を目前にした娘・知紗の名前であった。正体不明の噛み傷を負った後輩は、入院先で憔悴してゆく。その後も秀樹の周囲に不審な電話やメールが届く。一連の怪異は、亡き祖父が恐れていた“ぼぎわん”という化け物の仕業なのだろうか? 愛する家族を守るため秀樹は伝手をたどり、比嘉真琴という女性霊媒師に出会う。真琴は田原家に通いはじめるが、迫り来る存在が極めて凶暴なものだと知る。はたして“ぼぎわん"の魔の手から、逃れることはできるのか……。怪談・都市伝説・民俗学――さまざまな要素を孕んだ空前絶後のノンストップ・ホラー!!

あらすじより

 

ぼぎわんはが来るは、ぼぎわんの得体のしれない感じが不気味で、三津田信三の「首なしの如く祟るもの」のような本当に居そうなリアルさがとても面白いが、何よりもテーマが昔の日本の女性軽視が根幹にあるのが、この作品を上品に変えている。

 

このぼぎわんで既に、比嘉姉妹の物語は始まるのだが、次回作「ずうのめ人形」は時間軸が過去と現代を行き来した、よりミステリー的な展開が面白い。ずうのめ人形のチート並みの強さも中々の恐ろしさだ。

 

不審死を遂げたライターが遺した謎の原稿。オカルト雑誌で働く藤間は後輩の岩田からそれを託され、作中の都市伝説「ずうのめ人形」に心惹かれていく。そんな中「早く原稿を読み終えてくれ」と催促してきた岩田が、変死体となって発見される。その直後から、藤間の周辺に現れるようになった喪服の人形。一連の事件と原稿との関連を疑った藤間は、先輩ライターの野崎と彼の婚約者である霊能者・比嘉真琴に助けを求めるが―!?

あらすじより

 

 三作目の「ししりばの家」は他二作と比べても完成度は高いが、ホラー色は薄目で、スケールは大きいが、まとまった作品だ。比嘉真琴の姉、比嘉琴子の過去が描かれた作品で、比嘉真琴は今回は出てこない。不気味さは他二作のほうが上だが、やや普通の作品になったと感じる。

 

夫の転勤に伴う東京生活に馴染めずにいた笹倉果歩は、ある日幼馴染の平岩敏明と再会する。彼の家に招かれ平岩の妻や祖母と交流をしていく中で果歩の心は癒されていくが、平岩家にはおかしなことがあった。さあああという不快な音、部屋の隅に散る不気味な砂。怪異の存在を訴える果歩に対して、平岩は異常はないと断言する。一方、平岩家を監視する一人の男。彼はあの家に関わったせいで、砂が「ザリザリ」といいながら脳を侵食する感覚に悩まされていた。果たして本当に、平岩家に怪異は存在するのか――エンタメ界の鬼才が放つ、注目のノンストップホラー!

あらすじより

 

というわけで、妙なネーミングもさることながら、一気読みするほど面白い比嘉姉妹の「ぼぎわん」「ずうのめ」「ししりば」ぜひホラーを読まない人にこそ読んでいただきたい次第です。

 

*ぼぎわんは映画化するそうですが、タイトルは「来る」だそうです。映像化は難しいでしょうがぜひいい作品に仕上げてほしいです。

 

 

 

やや若いララクロフト「トゥームレイダー・ファーストミッション」

さて、今回は最近プライムビデオに追加された「トゥームレイダー・ファーストミッション」をお届けする。

トゥームレイダーと言えば、女性冒険家であるララ・クロフトが古代遺跡をあらゆるアクションを使用し、攻略していく人気ゲームの映画版だが、このシリーズ、もう過去に2作映画化されているのである。

そちらはアンジェリーナージョリーが主演したヒット作で、公開当時(2001年)には主人公ララクロフトのイメージにピッタリだと、話題になった。(その後のアンジェリーナはどうも常人離れしてしまい、マレフィセントのような女王的な雰囲気になってしまって、もうララクロフトはむりだな、と思う)

今回のトゥームレイダーはどうかと言うと、これまたゲーム原作で設定上ララクロフトの最初の冒険という位置づけなので、ララクロフトが若い。

主演のニックフロストはアリシア・ウィキャンデルという姉ちゃんで、現代風の美女だ。ゲームのララよりやせていて、ちょっと弱そう(実際あんまり強くない)

これがトゥームレイダーというタイトルだと、ちょっと違和感がでるかもしれないが、個人的にはアリシアさんは、胸がでかい。

いや、そこばっか見てるわけじゃないけど、やけに胸元空いてるなあ、、、。

 

内容はお約束に日本の卑弥呼の伝説というミックスだが、ゲームでもトンデモ感があったけど、歴史的考証は皆無であり、日本人からするとものすごく違和感がある。

これをギャグと捉えると、違う感じで見どころがあり、違う感じで盛り上がるのではないでしょうか。

 

日本の近海で行方不明になった父親は、謎の力をもつ日本の女王である卑弥呼が埋葬された島を発見するが、行方知れず。

お約束で、幾つかのヒントが残されていて、ララはそれを頼りに卑弥呼が埋葬された島へ向かうが、そこは謎の組織がすでに制圧しており、ララはその組織と卑弥呼の秘密を奪い合うのだが・・・。

 

あらすじを書いていても、展開が読めてしまうものですが、アクション映画と捉えてみれば十分見どころはあります。(ジェラシックパークみたいに見た後、内容が思い出せないレベルになりそうです)

それ以外は、アリシアさんの胸ばかり目が行ってしまう映画です。

なお、続編が出るようなので、アリシアさんはさらに胸の今強調した服を着ていただきたく所望する次第です。

 *TVドラマ「バッドランド」に出ている二人が出演しているので、その二人は相変わらずいい演技ぶりですので、そこは見る価値あり。

 

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ララクロフト

おすすめ度 ★★ (無料なら見てもいいレベル)

感動度 なし

 

 

 

疲れた大人は見ちゃダメ!「プーと大人になったぼく」


 

 

 

ウォルトディズニーの超有名キャラ「くまのぷーさん」のその後を描いた作品だが、子供向けの作品をリアルに置き換えると、そこには大人ゆえの欺瞞と矛盾が生じて、無垢な子供時代に培った真っすぐさを失う事で大人になったという事が、分かっているようでわかっていない事が分かる映画である。

 

親友のくまのプーや仲間たちと別れてから長い年月が経ち、大人になったクリストファー・ロビンは、 日々仕事に追われ、会社から託された難題と一緒に時間を過ごせない家族との問題に悩んでいた。 そんなクリストファーの前に突然現れたプー。久々の再会に、喜びと懐かしい日々を感じながらも、 また仕事に戻らなければならないクリストファーに、「仕事って、ぼくの赤い風船より大事なの?」とプーは問いかける。 彼が忘れてしまった本当に「大切なモノ」を届けるために、プーと仲間たちは100エーカーの森を飛び出し、 彼が家族と住むロンドンに向うのだが・・・。 主役のクリストファー・ロビンを、『スター・ウォーズ』シリーズの名優ユアン・マクレガーが演じる。 『美女と野獣』のディズニーが「くまのプーさん」を実写映画化した感動の物語。

 

アマゾンプライムビデオからあらすじ

 

てな感じで、一人だけ大人になってしまった「クリストファーロビン」はあのころと変わらない、100エーカーの森の友人が目の前に現れても、それを「迷惑」と取る。

それは当たり前で、無垢な子供時代と違い、仕事を持った大人はいつだって第一優先は「仕事」であり、子供の頃に大事にしていた「友人」はもはや二の次になってしまったのである。

 

クリストファーの娘や森の仲間は言う「クリストファーロビンは「仕事」が一番大切なんだ」

 

ここで、世のお父さん達は声を上げて言うだろう

 

ちがうんだ!俺が働いているのはみんな家族のためなんだ!

決して仕事が好きなわけではないのだ、家族を養うため俺は第一優先を仕事にしているのだ。

 

だが、みんな気付いているのだ。本当は

 

成功と幸せは違う事を、

 

この「プーと大人になった僕」はとても切ない話だ。

誰だって、家族や恋人と一緒に居たいと願うのに、そのためにワークバランスを崩しながら、何時間も耐えて仕事をするのに、

仕事を重視するほど、家族は離れていき、

結果的に、何のために働いているのかわからなくなるのだ。

 

さあ、この映画を見たら家族と話をしよう、

そして一番大事なのは、きっと単純なものであるはず、

そして、それはそんなにコストはかからないと思うよ

本当に大事なものが手遅れにならないように

 

*映画はハッピーエンドなので、安心して鑑賞できますよ。地味にCGがすごい。

 

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クリストファーロビンとくまのプー

 

 

 

ジャンル:ハートフルコメディ

感動度   ★★★

おすすめ  ★★★★

気分 「仕事に疲れた時、家族と行き違いが多いとき」

 

 

 

 

 

 

目的無い世界はどうもこうも

 いつの間にか2019年になっていたが、年末から鬼の忙しさにて、全く余暇がなく、今日正月休みが終了して、ようやく一息付いた次第であるが(昼から仕事なのだが・・)

 

 寝る前に幾らか本を読んでいたが、いつの間にか寝てしまっていたので、ここで紹介するようなものは余りないが、どうも心に刺さるのは、ダウンシフト系のいわゆる「仕事を抑えて余暇を大事にする」的な本ばかりだ。

 どうも疲れているらしく、(その割に熟睡できない・・これは鬱の兆候か?)頭が仕事嫌だ的な思考(端的に言えば、拘束時間の多さに不満)が頭を支配していて、全く浮かない気分である。

 

正月唯一元旦が休みであったため、近くの神社へ願掛けに嫁といったのだが、(その前に嫁と大喧嘩した、原因は準備を全く私がしなかったためらしい)

世の中の浮かれ具合に比べて、自分の境遇のショボさに涙が著著切れそうであった。

 

まあ、新年早々浮かない気分であったという事だ。

 

でもって、ブッダの言葉にあるように「迷いが出たら振り出しに戻る」的な思考の元に、私が欲しているものを考えると、

 

1.余暇

2.余暇

3.余暇

 

って休みが欲しいだけじゃんか!

 

それが何が悪い。休みがあればそれで幸せの人もいるじゃないか(私の事だ)

 

休みがあればこのブログももう少し更新できるのではないだろうか?

近所の山に出かける習慣も、忙しさにて中断したままだ。

 

これはどうした事だ、て、事は休みが多い会社に転職すれば、それで済む話だったのか?

 

だとしたら、嫁にそれとなく伝えて、転職活動するしかないであろう。

 

条件は

休みが多い

残業は少ない

ノルマは無い

体力は使わない

キチ●イがいない

給料は高くなくていい

 

よし!検索だ!

 

・・・・・

・・・・・

 

該当なし

 

 

まだまだ旅は続きそう・・・

 

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引いたおみくじ

*おみくじは大吉でした。願い事は早くしろ的な事なので、早く帰れる仕事が見つかるといいな!

人を動かしたいなら、「やれ」と言ってはいけない―思い通りに部下が動く“すごい”伝え方 ー妄想書評ー

 

 

前回についで妄想の書評を致す。この書評はまったく本の購入に寄与しない内容である。(そもそも読んでいない)タイトルなどを見て勝手気ままに書きなぐるものであり、なんの役にも立たないものである。

そもそも本屋で立ち読み文化が無くなった今となっては、アマゾンなどの電子書籍とか通販などでは本は博打に近くなってしまったので(試し読みとかレビューとかは今や役に立たなくなってしまった)どうせなら、もうタイトルだけで中身を決めてけてしまおうというのが趣旨だが、本当はネタが無いので適当に理由をつけているだけだ。

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紀伊国屋書店のランキングに「おっ」と思うもの(タイトルだけだが)あったので、今回は

人を動かしたいなら、「やれ」と言ってはいけない―思い通りに部下が動く“すごい”伝え方

という長いタイトルのビジネス書を妄想してみる事にする。

 

ところで、ビジネス書は、〇〇にてCEOとなり、ベンチャーの起業をした的な仰々しい経歴ばかりなのだが、こういったオレオレ的な発想の御仁が、自分のやり方を教えてやっていいぞ的な事で書くのだろうか?

たまには全然成功していない、ちりめん屋のオヤジの人生哲学みたいなのを出したらどうだろうか?まぁ売れないだろうが。

 

で、タイトルからして悩める管理職が読むであろう内容であろうか?バブル世代のおっさんが厳つい顔(なぜ彼らはいつも厳つい顔をしているのだろうか?)をしながら、中々言うことを聞かない若者の部下に業を煮やして、この本を手に取り、そうか!この手があったか!的な事を思うのであろうか。

 

こう言えば、こう返すというテンプレートが成り立つほど若者は愚かではないと思うが、ここでおっさん部長の田中部長がいたとする。

 

田中部長は叩き上げで、営業成績が認められ部長に昇進したのだが、彼の部下である新入社員鈴木くんは、どうも田中部長の言うことを馬鹿にしている風がある。

事あるごとに田中部長は「営業は足で稼ぐものだ!そこには楽な道はない!」と自分が叩き上げられた理論を部下たちに披露する。ところが、最近の若者はそういった理論が心に刺さらないらしく、事あるごとに「はあ」という気のない返事をするだけである。

 

「おい鈴木、お前はお客様への返礼をワープロで書いているそうじゃないか」

「はあ、そうですが」

「いいか、お客様への返礼はちゃんと手書きで書け、俺なんか筆ペンで何百枚と書いていたぞ、そうしないと心は伝わらないものだ」

「でも部長、顧客データーはデーターベースから直接印刷できるので、そのほうが効率が良いですよ、顧客もキレイに整えられたフォントのほうが読みやすいでしょうし」

 

若いやつはいつもそうだ、合理的とか効率とか生産性とか、俺が一般職だった頃は部長の言葉は金言であり、必ず服従の啓示のようなものだ。それをコイツは事にかいて「はあ」とか「出来ない」とか平気で言いやがる!

最近の若いやつはなっとらん!!!!

 

的な事はよく聞く話だ。

時代の違いと言ってしまえばそうなんだろうが、おっさんにはおっさんの言い分があり、若者には若者の言い分があるから、議論は噛み合うわけがないのである。

おっさんは自分の過去と照らし合わせて、何故自分のようにしないのかが疑問だし、若者は若者で何故、そんな現代的でなくかつ非効率な方法、そしておっさんの仕事命!という精神が理解できず、まるで異物を見るような扱いになるのは当然だ。

 

そんなおっさんは、言わば異世界から現れた若者を扱うため(都合の良いようにだが)このような本を手に取るのであろう。

 

ちなみに私がまだ若かった頃はロックブームであり、「世の中の歯車になるな!」的なメッセージが、頭がクシャクシャで逆だっていた(色も付いていた)歌手から発せられて、それを鵜呑みにする若者が一定数いたが(私の事だ)

ある意味、今の若者は図らずともそうなったのではないのだろうか?

もちろん、逸脱する事がない分、今の若者のほうがマシな気がする。

 

読んだ方、ぜひ内容を教えていただきたい。