たのしい縮小社会
我が日本は人口が減っているらしい。このままで行くと2055年には1億人を割り込むという。
これに対して、人口減少は国力の低下という事をよく耳にするが、本当にそうなのだろうか?
欧州各国に比べて、日本は人口が多いし、密度も過密である。日本より人口が少ない国の方がより豊かに見えてしまうのは何故であろうか?
もはや、高度成長が日本に訪れる事はなさそうであり、(世界的にもなさそう)十分成熟したと考えれば、縮小というものは決して悪くない気がする。
身の丈にあった暮らしをすれば、人口が少ない事はむしろメリットがあるのではないだろうか?現に物欲に晒されているのは、いつだって前世紀の年よりばかりであるし、若い人達は倹約をして、べつに物がなくても楽しめる方法を知っていると思う。
だから、人口が少なくなって色々なものが過去に戻るとしても、人間のシステム(体の事だ)は大昔のままなのだから、それを受け入れれば良いと思う。
で、今回の「たのしい縮小社会」は対談と言う形で、縮小していく社会を受け入れようという考えを伝える本だ。
一部主観がはいっているが、概ね賛同できる内容であった。
そして縮小しても、一般市民は問題があまりないので、発達したインフラを少人数で使用できるというメリットがあり、日本が行ってきた「工業化」「発展」というものから一歩引いたものがこれからの「限られた資源」を分配するヒントになるかと思う。
印象的であったのが、電通の標語であり
- もっと使わせろ
- 捨てさせろ
- 無駄遣いをさせろ
- 季節を忘れさせろ
- 贈り物をさせろ
- 組み合わせてかわせろ
- きっかけを投じろ
- 流行おくれにさせろ
- 気楽に買わせろ
- 混乱を作り出せ
どうだろう?あなたが営業職であればこれらの標語は、どこかあてはまりそうではないだろうか?
つまり、貴重な資源をむりやり買わされ続ける事が、いまの日本社会に蔓延しているという事だ。
だが、本当に必要なものは、そういった意味のない、便利そうに見えて実は全く役に立たないものばかりなのである。
さあ、もう必要のないものは捨てて、今すぐ大切な人と話でもしようではないか。
野生の遠吠えは原始の音色 柴田哲孝「WOLF」
日本オオカミが絶滅して100年強、動物園で見たオオカミはデカいシベリアンハスキーのような風貌であったが、その顔つきは明らかに人間に媚びない荘厳さを兼ね合わせていた。
つまるところ、完全に自然の体をしており、その迫力は飼育されていても変わらないものであった。
で、今回は柴田哲孝の「WOLF」であるが、著者の「TENGU」等を読んだ方は、ノンフィクションに近い語り口で、引き込まれるストーリーである事をこの「WOLF」は健在であり、自然ファンタジーが好きな方は溜まらなく面白いはずである。
山登り、キャンプ、自然動物、もっと言えば、ディスカバリーチャンネルやナショジオなどが好きな方にもお勧めできます。
ノンフィクション作家・有賀雄二郎のもとに、林野庁の埼玉環境保全担当から突如連絡が入った。奥秩父の両神山の麓に“山犬”らしき大型動物の群れが徘徊しているという。息子の雄輝と共に現地に向かった有賀は調査を開始。カナダの大学で森林科学を学ぶ雄輝は、被害の様子をみてニホンオオカミではないかと仮説を立てる。次々に人を襲い始めた“山犬”に危機感を抱く2人は捕獲作戦に協力、正体に肉薄するが…。
あらすじより
埼玉県の山林に現れた謎の「山犬」、それの正体と有賀親子との闘いが見ものであり、その正体がわかる瞬間はミステリー小説のようで、最高に盛り上がります。
また、自然破壊や動物愛護の問題提起であり、「オオカミ」を巡る騒動を通して、自然の不可思議さを垣間見える展開で、最後の「山犬」の運命も意外な結末を迎えます。
途中の著者のうんちくや、ややハードボイルド的な有賀雄二郎のセリフなど非常に入り込みやすい展開です。
どちらかと言うと「TENGU」の方が完成度が高いと思われますが、この「WOLF」は私が山登りに興味があるので、非常に面白く読むことができた。
ぜひ「TENGU」「WOLF」読んでみてください。そして、「KAPPA」などをキンドルで発売して欲しいなあ
チキンとパスタ
今回は料理の話
料理はあんまり得意ではないですが、一人暮らしであった時もそれほど作ってはいません、しかし自炊するメリットは計り知れず
家計に優しい
健康に優しいい
腕が上がれば楽しい
人に(主に嫁さん)喜ばれる
てなわけで、ちょくちょく作っています。
盛り付けが下手くそですので、いまいち旨そうに見えない嫌いがありますが、作る事に意義があるという事です。
ちなみに今年のコンセプトとして、
文化的な行動をする。
仕事を抑えて、時間をかけて何かを創造する。
物を買わず、本来の自然の力を享受する。
てのがあるので、自炊はその一環という事で
鶏肉のグリル。二人分
鳥もも肉 200グラム(300円)
プチトマト 10個 (100円)
サニーレタス (100円)
塩、コショウ、オリーブオイル 適量
まず、フライパンにて、オリーブオイル引き
プチトマトを炒めます。そのとき2等分に分けて焼くと火が通りやすい。
火が通ったら、一度皿に移し、フライパンを軽く拭き、オリーブオイルを適量引いてもも肉を焼く、この際皮側からじっくり焼くと、油がでていい感じ、ふたをしてゆっくり火が通るまで焼きましょう。
焼けたら付け合わせで、サニーレタスなどを乗せて完成。
卵のパスタ。
パスタ 二人分 200円
卵 4個 100円
唐辛子 2本 100円
ニンニク ふた欠片 100円
オリーブオイル 塩 コショウ コンソメ(粉状):適量
ゆで卵を作って、ボールにフォークで潰していく
フライパンにオリーブオイルを引き、ニンニク、唐辛子を炒めて、においがしてきたら
潰した卵を入れて火を通す、途中コンソメを大匙で入れる。
パスタが茹で上がったら、卵を炒めているフライパンに入れて、
ゆで汁 大匙二杯、オリーブオイル 塩 胡椒 で和える。
以上
とりあえず、焼いて味付けをすればOK!
絶品「納豆キャベツ」
みなさん納豆は好きですか?私は大好きです。
嫁がデザートを食べている中、私はデザートと言い張りながら納豆のパックを空けています。
だって納豆はデザートですから。(キリッ)
私は納豆はドノーマルな感じで食するのが好きなのですが、今回ご紹介するキャベツと和える方法がとんでもなくおいしかったので、ちょっと紹介したいと思います。
材料:
納豆(おかめ納豆がお勧め)1パック
キャベツ:お好みで
白だし(トップバリュで十分)
ごま油(竹本油脂製がお勧め)少々
からし:付属しているやつでOK
まず、キャベツを千切りして、適量をザルに入れる。
お湯を沸かし、回すようにキャベツにかける。
よく水を切り、納豆とほかの材料を入れて和える。
以上
蛇足だが、キャベツを人玉千切りにするため、スライサーで裁断するのだが、この時手に取りやすい大きさにカットして千切りする方がラクなのだが、そういった旨くいくやり方を提案しても、慣例として昔のやり方を変える事が出来ない会社が多いと思う。その時、上司が「根性」とか「気合」とか言い出したら、さっさと辞めた方が良いと思いませんか?
話が逸脱した。
ほら、こんなにも簡単でとてもおいしいキャベツの納豆和えが出来ましたよ!
私のようにコメを食べない人は、キャベツと納豆で結構満足感があるのでお勧めです!
名古屋観光ホテルシェルダンのランチに行ってきました。
今回はただのランチの話、先日スギ薬局のクーポンで名古屋観光ホテルにある「シェルダン」にお邪魔しました。
ランチはブッフェ方式で、ついつい欲張りになってしまいます。
料理人の方がブースに二人ほど見えていて、ステーキとローストビーフを切り分けてくれます。
ランチの品目は多くて、主に洋食ですが一品ずつ取っても食べきれません。
蛇足ですが、私は小食なので食べ放題であったり、ブッフェなどは全然得した気分にならないのであまり利用しませんが、別に食指が動かないものは手を出さなければ、良いだけの話であり、貧乏性は本当に害しかないと思う次第であります。
もう少し食べたいという感じが、一番幸福感があり、また来たいと思えると思うので、ここは自制するところである。
嫁さんは結構食べてましたが、私はデザートはもうアイスくらいしか入りません。
ここのランチは通常でも3000円程度ですし、お酒を頼まなければ中々リーズナブルではないかと思います。
ロビーには着物が展示してありましたが、知識がないのでよくわかりません。ただ、美しいと感じ、その感性が大事なのだろう。
所有する事で弱くなってしまう「持たない幸福論」
あなたは何のために生きていますか?この世で一番必要なものは何ですか?
この質問の答えは人によって違うと思われるが、何人かは「お金」と答えるであろう。だが、お金自体に価値はなく、お金は何かと交換できるからもてはやされているに過ぎない。
で、物と交換できるお金はあっても、あなたは何と交換するのか?
最新のガジェットを購入する?
カッコいい車に乗って自慢する?
仕立ての良いスーツを着たりする?
腕にはブランドの時計をしたりしてね。
だけど、その分だけあなたは働かないといけない。そのカッコいい服のために何時間も働かなければいけないのだ。
その手に入れる労働時間を、簡素な服を着て、友達と会話を楽しんではどうだろうか?友人なら、あなたが何を着ていようが、関係なく受け入れてくれるだろう。
あるいは、ワークショップで手作り味噌を作ったり、部屋を片付けたりしたらどうだどう?きっと何も買わなくても、あなたは幸せな気分になるのではないだろうか。
今回取り上げる本はpha(ファさん)の著書「持たない幸福論」を取り上げる。これは著者であるphaさんの持論と日常を著したものだ。
彼は、なるべく労働をしない事を目標に、物を所有せず、家族も持たず、少し緩い感覚での友人(いわゆるネットつながり)で暮らしていく事を推奨している。
たしかに、何も持っていないという事はすべてを持っているという事と同義語なので、何も所有しないことは、労働から解放される事と同じなのだ。
つまり、あくせく働いて、物を所有したり、家族を持って、その家族のために労働する事が、今となっては旧世代風であり、今の時代かなりの贅沢品となってしまい、一部の人間以外には荷が重いという事で、長時間労働を課せられた現代人がちっとも幸せでない事を鑑みると、何もなくても、睡眠が取れて、食うに困らなければ、その方が幸せであると言える事を本書は示してくれる。
つまり世の中の洗脳とも言える「常識」の呪縛は、本当は簡単に取れて、消費に取りつかれて。本来の幸福を履き違えた現代人に、こういう生き方もあると教えてくれる本ではなかろうか。
全てがすべてまねできる内容ではないが、現代の生き方につかれた人がいたら、こう言う生き方もあるという指南書でもあると言えよう。
景観は思い出の彼方に~中田島砂丘へ行ってきました。
静岡県浜松市にある中田島砂丘へいってきました。
砂丘と言えば鳥取砂丘ですが、あそこよりずっと規模は小さいが、砂丘の雰囲気は十分味わえる規模の砂丘であります。
鳥取砂丘は、ラクダがいたりしますが、中田島砂丘にはウミガメの言及がありますが、ラクダはなし、お土産屋も平日ではやっていません。
10年前以上前に行ったことがありましたが、景観は驚くべきことに数々の重機がではいりする工事をしていたり、歩行者用の歩道ができたりして、自然を愛する我々としてはすごく残念な感じであります。
どうやら、浜松市は沿岸沿いに防波堤を建設するらしく、その工事の一環として、この中田島砂丘も含まれているらしいです。
東日本大震災の影響はここにもあり、改めて震災の影響を考えさせられましたが、自然のままの砂丘が少し恋しいです。
この日はとても風が強く、(いつも強いが)風紋と呼ばれる砂に模様が付く現象が如実に確認できました。
昼間には、貝殻を探す子供や、愛を語るカップル、何も釣れていなそうな釣り人と、そこには相変わらずの人々の姿があり、移り変わりゆく風景でも、変わらぬ人々の思いや生活は垣間見る事が出来ました。
隣接する公園は中々大きく、バスなどが止まっていましたが、人は疎らでした。
昔サークルKだったコンビニがファミリーマートになっていたのが、時代の変化を代弁しているようでした。