景観は思い出の彼方に~中田島砂丘へ行ってきました。
静岡県浜松市にある中田島砂丘へいってきました。
砂丘と言えば鳥取砂丘ですが、あそこよりずっと規模は小さいが、砂丘の雰囲気は十分味わえる規模の砂丘であります。
鳥取砂丘は、ラクダがいたりしますが、中田島砂丘にはウミガメの言及がありますが、ラクダはなし、お土産屋も平日ではやっていません。
10年前以上前に行ったことがありましたが、景観は驚くべきことに数々の重機がではいりする工事をしていたり、歩行者用の歩道ができたりして、自然を愛する我々としてはすごく残念な感じであります。
どうやら、浜松市は沿岸沿いに防波堤を建設するらしく、その工事の一環として、この中田島砂丘も含まれているらしいです。
東日本大震災の影響はここにもあり、改めて震災の影響を考えさせられましたが、自然のままの砂丘が少し恋しいです。
この日はとても風が強く、(いつも強いが)風紋と呼ばれる砂に模様が付く現象が如実に確認できました。
昼間には、貝殻を探す子供や、愛を語るカップル、何も釣れていなそうな釣り人と、そこには相変わらずの人々の姿があり、移り変わりゆく風景でも、変わらぬ人々の思いや生活は垣間見る事が出来ました。
隣接する公園は中々大きく、バスなどが止まっていましたが、人は疎らでした。
昔サークルKだったコンビニがファミリーマートになっていたのが、時代の変化を代弁しているようでした。
会社がなんだ!「明日クビになっても大丈夫」
今回は「明日クビになっても大丈夫」を紹介します。私は存じ上げなかったのですが、著者のヨッピーさんは、ネット界隈では有名な人らしく、この本は彼のどうやって会社を辞めても、食いっぱぐれがないかを自伝的な記述で紹介しているものだ。
ネット界隈では目立ったもの勝ちのところはあるので、ヨッピーさんもそういった少し派手な演出によって人から注目を受けている感はありますが、(下ネタも多し)結局のところ、一見ふざけているようでも、根幹は「人を楽しませる」という事が徹頭徹尾されており、ふざけた言動からは想像もできないほど、読者を大切にしている事が文章から伺える。
つまり、他の著名人と一緒で、営利ばかり追求するのではなく、顧客(ここでいうのは読者である)の事を第一に考えて、利益とかそういったものは後回しで記事を制作する事によって、結果的に支持を得る事となり、それが利益となっていったという事なのだろう。
つまりちん〇、ま〇こ、とか言っていながら、実際真面目に活動していやがるじゃないか!
だれもが真似できるわけではないと思うが、マネタイズは考えなければならない事であるが、結局どれだけ情熱があるかという事なのだろう。
情熱があれば、ちん〇、まん〇、言っていても稼げるという事を、この本は教えてくれた・・・(こんな帰結でいいのであろうか)
共感できるかどうかはあなたが純粋かどうか?「どん底から最高の仕事を手に入れるたった一つの習慣」
ここに二人の若者がいる。
若者は友人であるが、性格は真逆である。
いつも刺激を求めるストレートな性格の「シバちゃん」
おっとりとして、安定さを求める「ターくん」
この二人は仕事を通して垣間見る人生の意味を考えていくのだが、
シバちゃんは大学を卒業後起業する。理由は通勤電車にて疲れた大人を見て自分もそうなりたくないと思ったからだ。
ターくんは一流企業に就職する。それが当たり前であったし、やがて社長になるという夢を抱いて勤める事となる。
この二人を通して、人生とはなにか?幸福とは何か?仕事とはなにか?問いかける内容だか、当然どちらに進んだとしても、困難が待ち受ける。
起業をしたシバちゃんはいつでも資金難に陥り、現実と理想のギャップに苦しむ。
企業人のターくんは、うまく評価されない社内で次第にやる気をなくしていく。
お互いに居酒屋で情報交換するうちに、自分たちが何を求めているのが、だんだんわかっていくのだが、その歳月は悲しいほど時間がかかる。
そして、50代まで彼らの軌跡は語られるのだが・・・。
と、こんな感じで別の道を選んだ二人の人生の違いを描くのだが、結末はあまりに違うが、どちらも共通して言えることは、成功が幸福ではなく、結末で良し悪しは決まらない
という事だ。
だが、その内容は、
- 感謝する
- 人を思う
- 諦めない
的な事で、面白いが旧世代的な価値観も多い。
現代風なら、別に諦めて良いし、もっと簡単に自分が擦り減らない方法があると考えるべきなのかもしれない。
物語として、本書は劇的な変化を遂げ帰結するが、仕事=人生というのは、あまりに前時代すぎる考え方だ。彼らは生きがいを仕事に見出したが、ここには圧倒的な悪意が欠乏している、世の中にはもっと理不尽が蔓延しているのだ。それに立ち向かう事はただの疲弊を現しているので、引くときは引かないと、おかしくなる
あと、あまりに(わざとらしく)強調されている。ターくんの会社の一体感などは(例えば5年もターくんが会社に復帰できるためにみんなで工面するとか、帰って来た時社員全員で拍手が巻き起こるとか)現実離れしていて、宗教くさい。
大体ブラック企業なら、辞めた人間を叱責する事はあっても歓迎する事はないだろう、そして、戻るための努力は自分の事が精いっぱいの人間に出来る訳がない。
仕方ない。
そう思うに違いない。
二人の主人公はビジネスという場で(そういう側面で語られているので仕方ないが)しか何事も図る事が出来ない事が違和感を感じる事だ。
無論、あなたが私より純粋であるなら、こういった仕事=人生という考え方も熱くて良いと思う。この本は若ければ若いほど感化できるのではないか、
この本のターくんの「社長になる」という初めの展望は、会社に就職するとき、幾つかの友人が発していた言葉と同じだが、いつしか誰もそういわなくなったのは、幸福とは別の場所にあるという事を感じたからなのだろうか・・・。
それでも希望は失わない「ちょっと今から仕事辞めてくる」
皆さんは希望はお持ちですか?今日という日は笑顔で過ごすことができますか?
はい、私はできません。
今の現状ではできません。
なぜなら、仕事がキツく、全く希望が持てないからです。
私は他の大多数と同じで、仕事が嫌でしかた無いのですが、仕事を辞める勇気がありません。
色んな言い訳をして、自分を正当化しようとするあざとさが自己嫌悪します。
よく眠れず、いつも不機嫌です。
休みが終わっても、心が休まらず、休日でも会社からの電話に怯えています。
家族が大事だから、と自分に言い聞かせながら、疲れた体を引きずり通勤しています。
行動もしていないのに、この仕事以外出来ないと思い込む事があります。
こんな私ですので、万年平社員で、給料は薄給です。
自由を夢想して、一時的にラクになるのですが、結局もとの黙阿弥になります。
仕事が好きではありません。自分にウソを吐いてやる気があるように見せているだけです。
つまりプライドだけいっちょ前にある、どうしようもない男なのです。
映画「ちょっと今から仕事やめてくる」はベストセラーの映画化であり、出ているのがイケメンばかりという嫌いがあるが、(実際は疲労した人間は、服はヨレヨレ、髪はボサボサ、目には隈が色濃く残っている)良い映画であった。
て、いうか境遇が似ていて過ぎて、何度も目がしらが熱くなってしますのです!。
しかももっと悪い事に、映画の主人公はまだ20代ですが、私はもっとオヤジである事が非常に問題です。(イケメンでもない)
しかも、会社に行く前に視聴してしまい。一気に勤労意欲が下りまくり、このまま楽園へ行きたくなります。
映画のポイントは(私のですが)
もはやブラック企業に勤めていると、思考は停止してしまう(衝動的に自殺を考える事)
人は自分だけではリカバリーが難しいという事(今回はヤマモトという友人のお陰で主人公は希望を失わなかった)
自分がどれほど辛辣な事をしても、家族は見捨てる事は無いという事
そして、希望は時として見えなくなるが、決してなくなる事が無いということ
最後に人は誰かのためにしか、生きる事が出来ないという事、利己的な考えでは人は希望を失ってしまう。私たちに出来るのは、ちいさな力でも人の役に立つという事を思い、実行する事なのではないだろうか。
*とりあえず、今すぐブラックに勤めている方は、それ以外の生き方がある事をこの映画を見て気付いてほしい。(私もそうします)
物を買わなければいい事ばかり?「より少ない生き方」
今回もミニマリストネタで行きたいと思う。
今まで色々な本を読み漁って来たが、幾つか心にヒットしたものがあるのだが、
- 物が少なく暮らす(ミニマリスト的な発想)
- 健康(運動と睡眠)
- 自然(人間のシステム的に自然は欠かせない)
これらをひっくるめると幸福となる(と思う)
色々なメディアが色々な幸福の形を提案するが、以下は真実でない様に思える。
- 出世あるいは成功
- 金、物
出世や成功の類の話はとても面白いが、それには(常人なら)色々な犠牲が伴う(主に時間と家族などだ)稀にそうでない人がいるが、そのような才能のある人と比較するのは間違いであり、基本的に不可能である。そもそも利己的な考えでは、どれも成功しないだろう。このような考えは大体は見栄である事が多い。
金は幾らか必要だが、過剰に必要ではない、実際生活に必要なものはそれほど多くないし、物は寂しがりやで、物が物を呼ぶので、家は乱雑になる。
現代の(特に日本は)あまりに多くの刺激が多すぎて、店に入ると要らないものまで買うように出来ている。コンビニや家電量販店に行けば、何も買わずに出てくる事は出来ないかもしれない。
本当に欲しいものがあるとしても、オプションと名が付くものを進められた事は無いだろうか、あるいは多機能すぎて使いどころが無い家電であふれていないだろうか?
それらは、使いこなせない事自体が過大なストレスとなり、目に入るたびに嫌悪感がでる筈である。実際家電には要らないものが多い。
家は大きなものは管理で時間が謀殺されるし、
車は交通機関が発達しているなら、要らないだろう(ほぼ見栄であるわけだし)私のように地方在住なら、致し方ないが、その場合でも小さな車で十分であろう。
色々な増税や値上げが喧伝されているが、それを手に入れるため長時間働くほど馬鹿らしい事はないだろう。それによって健康が損なわれるなど、本末転倒ではないだろうか。
前置きが長くなったが「より少ない生き方」はアメリカの作家ジョシュア・ベッカーが書く基本的なミニマリズムの本だ。啓発として書いてあることは、まあ他のミニマリズムの本と相違はない。物質大国のアメリカで起きたムーブメントでベストセラーになった本書は、ミニマリストとして暮らす著者のアメリカらしい生き方を書いてある、とても読みやすい本だ。
家の売買の事など、通常の方とは関係ない事も多々あるが、ミニマリスト系の本(私は大好きだ)で面白い分類に入ると思う。
シンプルさは美しい「365日のシンプルライフ」
今回はミニマリストネタ。
以前からものを少なくする事を座右?の銘にしてきましたが、題材がいかにもなんですが、フランス映画の「365日のシンプルライフ」を取り上げようと思います。
2013年作成のこの映画はミニマリストの視点と、青春ロードムービー的な側面、そして人生の岐路についての話となっている。
内容的には、フランスの青年が、持ち物すべてをロッカーに預け、裸一丁(本当に裸なのだ)で暮らして、ルールを定める。
- ロッカーから出せるのは一日1アイテム
- 365日ものを買わない
それだけである。
主人公の青年は中々のイケメンであるが、どうやらTV制作会社に勤めているらしく、自撮りなどは、自然で編集もなかなか良好だ。
まずは裸でスタートするのだが、ロッカールームにすべてを預けて、新聞紙で股間を隠すシーンからスタートで、これが実はこの映画の一番の見どころである。
最初はやはり着るものを出すわけだが、映画内でも言及されていたが、1週間もすると出したい物がなくなるらしい。
つまり何もない方が快適らしいのだ。
数々あるミニマリスト系の本を読んでみても、やはり何もない方が、
- 掃除がラク
- 好きな事に集中できる
- 心がスッキリする
という事で、我々の物質社会の害が垣間見える瞬間であると言える。
でもって、実はそれで映画はおしまい・・てわけではなく、主人公のライフワークをだらだらと撮影していくのだが、
途中で祖母にアクシデントが起きたり、彼女ができたりと、なかなか青春している様子が伺えて面白い。この辺が賛否両論あると思うが、個人的には主人公が何も隠さずに撮影しているのが、ドキュメンタリーとしては面白いと思ったが、ミニマリストのネタだけでは流石に映画一本はきつかったのだろう。
しかし、考えさせられるのは、仕事で必要以上に人に物を売っていると、非常に罪悪感が湧くという事だ。本当は何も必要がないのに、必要以上に何かを煽り、その人の集中力を奪っている事という事は、果たして正しい事なのだろうか?
町を歩けば、あらゆるところに宣伝が喧しく目に飛び込んできて、これを買うとあなたは変わる、素晴らしい体験が待っている、皆持っている、今すぐ買わないとなくなってしまう、安いのは今だけ・・・・。
色んな謳い文句で、物が宣伝されて、真に受けると家の中は物でいっぱい・・・どれでどれくらいの人が幸せになったのだろう・・・。
物がありすぎる世の中だからこそ、物と付き合い方を考えないと、家が物でいっぱいになってしまう。この映画「365日のシンプルライフ」のように、一度ものに対して、距離をとる事も大事ではないだろうか。
nature fix自然が最高の脳をつくる
皆さんは自然に触れていますか?私は自然が大好きです。
だけれども、それは最近の事で、昔は自然は大嫌いでした。
だって、自然環境は
暑かったり、寒かったり
訳のわからない虫がいたり
するために清潔が好きな現代人なら、自ずと屋内で過ごしたくなる気持ち分かっていただけるかと思います。
なぜ、最近自然環境が好きになったかと言うと、
元々子供の頃は外遊びが好きだった。
自然に触れると気分が良くなる。生きている感覚がする。
地方在住なので、自然こそ都会にない贅沢なのではないかと考えるようになった。
実は、健康と自然は関係あって、そもそも逆説的に健康だと、自然が好きになる。
不健康であったり、過大なストレスに晒されていると、自然が億劫になってしまうのである。
だから、自然を求めるのは健康である証であるため、屋外にて余暇を過ごすことが、人間にとって(進化論的に)正しいというわけだ。
アドラーの論理的に言えば、逆説的に自然に触れるため健康になる。
心理療法の森田療法でいえば、自然に出れば(強制的に)健康になる、と言い帰れるので、ぜひ自然にでよう。
さて、前置きが長いが、今回ご紹介する「nature fixー自然が最高の脳を作る」は著者であるフローレンス・ウィリアムズが感じた個人的な効果、そして専門家による見解、つまり個人的な感じ方と科学的な効果を論じた本だ。
著者のフローレンスの文章は読みやすく、共感がもてる文章で、専門的な記述は少ないので読み物としてスラスラ進める事ができるので、自然を思ったり、またはオープンカフェなどで一読するとなお良いのではないか。
多くの人が、自然には不思議と癒す力があると感じていると思う。
近藤真彦の名曲「ギンギラギンにさりげなく」みたいに(このタイトルは結局、攻撃的なのか消極的なのか不明だが、そもそも近藤が歌手なのかレーサーなのか不明なので、そのことを示唆しているのかもしれない)あでやかな都会の喧騒であったり、色んなものを売っているショッピングセンターなども、いいのだけれど、自然の大きさを感じる安定さは何者にも代える事が出来ない癒しではないだろうか。
てなわけで、私は激務から解放され、山歩きでもしたい所分でござります。