ジャンクな脳と記憶

本を通じて人生の幸福を考えています。

悪い奴はいかにも悪い名前なのか?スーパースターフォース

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ちょいと昔の子供向けのTV番組だと、敵対する勢力が「悪の軍団」的な名前で、しかも軍団自ら「悪」を自称している場合が多く、なんでだろうと思っていた。(単純に子供達に分かりやすいネーミングにしているだけであると思われるが)

自分たちを「悪」とネーミングするのはある意味、大人的な対応のような気がしないでもない。

「俺たちはそんな事を気にしないぜ」

 と大人の対応である。

 

さて、今回は当時テクモから発売されていた「スターフォース」の続編、その名も「スーパースターフォース」を取り上げる。

実はこの作品、当時は珍しい縦スクロールシューティングとRPG的要素を併せ持った作品なのだが、いろいろと斬新な作品なのだが、中でも難易度が異常に高いという事が当時の小学生を奈落の底に落としてしまう代物であったようだ。

 

それにしても、敵の名前が「暗黒大陸ゴーデス」といういかにものネーミングなので、こいつは絶対に悪い事企んでいると、名前だけで職質されるレベルなのではないだろうか?

 

実はこの作品、タイムパラドックスのお約束ストーリーなんですが(バックトゥフィーチャー的と申しましょうか)

バッド・エンド含めて、ファミコンとは思えない鬱エンディングなんですが、果たして自力でクリアした人がいるのか疑問です。

 

 

天才とは馬鹿なのか?バカボンのパパと読む老子

 

 

 

よく、馬鹿になる事が大事という言葉を聞く。その意味は深く、ここで言う馬鹿は真の意味では無く、あくまで比喩的な意味合いであろう。

 

確かに偉人とは、常人と逸している場合が多く、一見奇異に映る事があるからだ。

だが、常人と違うからこそ、偉人なわけであり、そもそも常識という名に毒された我々の心には到底理解出来ない事なのかもしれない。

 

今回は「老子」について書く、「老子」と名前だけは聞いたことがある人も多いだろうが、原著を読んだ人は大学で専攻した人ぐらいではなかろうか?

「ああ、老子ね・・中国の昔の人でしょ?」

と答えた女子大生は間違いではないだろうが、ここで

「いいかい、老子というのはね、古代中国の哲学者であり道(タオ)という自然崇拝の観念を説いた偉人でね、老子というのは「偉大な人」という意味なんだよ」

 

なんて言っても、今年21歳女子大生萌菜ちゃんは、

「フーン、なんかムツカシイんですね~」

とうっとうしがれるだけであろう。おっさんはその手の話が得意だが、そんな昔の偉人の話しをした所で、若い子の尊敬を得れるわけではないのだ。

そもそもおっさんはすぐ幻想を抱いていしまいがちであり、よほどの経済力がないならそんな話に乗ってくる若い女性は居るわけがないのだ。

 

しかたないおっさんは、自分の妻に

「ねえ、老子って知ってる?」

と哀しい知識を披露するのであろう。

 

話が逸脱した。

 

この「老子」が現代でも語り続けているのには、理由があるわけで、それは残された名言が物語っている。

現代の小手先だけの生き様の指南が溢れている世界において、老子の考えは実にシンプルだ「自然の摂理に乗とって、自分を見つめ直すこと」(意訳)が必要という事を説いており、以外に今の社会にも合致する事が多いのである。

我々は便利を追い求め、物質社会に身を投じて来たが詰まるところ、そのようなもので満たされる事は僅かな事で、本質は人間としての自然の姿が一番高潔である事に気づきつつある。

勿論、ブッダやこの「老子」も元は王子であったり、老子と思われている「」(ろうたん)は官史という偉い役人であったらしいし、一度は物質的な満たす思いをしないと、悟りのようなものは開けないので、(どちらも財を捨てて、それぞれ己の道を進んだ)あながち今の我々も間違ってはいないのかも知れない。

 

そんな「老子」は行き過ぎたロハスのような考えで、全ての存在には道があり、その道にそってあるがままに自然にあるのだが、人間は恣意的に欲望が先行して、その道を外れてしまう、それが不幸なのであると、そんな欲望は捨ててただ道(自然)に添って生きる事が正しいと説いたのだ。

 

どうだろう、最近の傾向では「幸せも色々形があるもの」と感じている人が多く、いわゆる人生の目的と言われて来た「家」「車」「結婚」とかでは無く、それらが無くても幸せである事を実践している人もいるし、「出世」や「大企業」とかも以前よりだいぶその効力を失っているように思える。

 

で、「老子」なのだが、原著は記述が難しく、現代訳でも読みにくいが、ドリアン助川さん著の「バカボンのパパと読む老子」はさらに超訳されていて読みやすい。

ここで気づくのは、バカボンのパパも「老子」的な考えの実践者である事、そして意外なほど「老子」を読み解くのにピッタリなキャラクタなのではないだろうか。

 

昔から馬鹿と天才は紙一重というが、ひょっとして馬鹿と天才は同義語なのかもしれない。

 

人生はいつも乖離している。マイ・ライフ マイ・ラブ。

 

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人生はフェアじゃない、その事に慣れるんだ。と言ったのはマイクロソフト創業者「ビル・ゲイツ」だが、まさにその通り人生とはいつだって不公平であり、正しかった事など稀である事は今まで生きて来た皆さんなら、当然の理である事はご存知であるだろう。

 

 

そんな訳で人生の縮図を試したいのなら、今回紹介するファミコンソフト「マイライフマイラブ」をプレイしてみるべきである。

 

このソフト、当時は鬼才のゲームデザイナー飯島健夫がデザインしている。(この人は今何をしているのだろうか?ラストハルマゲドンのゲームデザイナー)

 

まあ、すごろくなのだが、一人用の孤独なボードゲームであり、生まれてから死ぬまでの人生をファミコン上で体験していく異色ソフトなのである。

 

産声を上げてから、学校に通い、結婚して、死んでいく。

人生と同じように30代までは結構イベントが多いのだが,中年以降は極端にイベントが少ないのは実際の人生と一緒で泣ける。(起きるのは家族の死別という悲しいイベントばかりだ)

 

人生とは代わり映えのしない毎日の事をさしているのなら、このマイライフマイラブはまさに的を得ているのであろう。つまりこのゲームはただ長いだけの退屈なゲームとも言えた。

 

だが、ゲーム中ペットで飼っていた亀が、自分より長生きであったというのは、あるいみリアルであったのであろうか。

 

メディアミックスの呪い。魍魎戦記摩陀羅。

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今回はコナミから発売されていたファミコンソフト「魍魎戦記摩陀羅」について書く。実はこのコナミというソフト会社は、当時はRPGは全くダメとされていたソフト会社であった。だが、満を持して発売されたのが「この摩陀羅」だったわけだ。

 

やたら漢字が多い、このタイトルは当時はまだ珍しかったメディアミックスという体をとっていたと言うことで、当時ファミコン少年であった人は「ゲームは知らないけど、漫画なら知っている、とかアニメとかになっていたよね」みたいな感覚であると思う。

 

ゲーム、漫画、アニメなど今ではコラボは珍しくないが、当時としては中々野心的であったのではないだろうか。

ゲーム自体はオーソドックスなRPGで、いわゆるドラクエ的なシステムであったが、ドラクエが全体的にニコニコ調なのに大して、この摩陀羅は少しダークな雰囲気を醸しだしているようであった。

 

ただ、音楽がやたら格好良くて、カセット(!)の中に音源チップを別に組み込むという荒業で、ファミコン以上のサウンド感を出していた。

 

そんな気合の入った盛りだくさんの摩陀羅だが、やはり漫画を原作に持ってくる作品の限界がこの作品にもあった。

 

まず、漫画とゲームのグラフィックが違いすぎる。

当たり前だが、原作を読んだあとこのゲームをしても、よほど想像力というデバイスが働いていないと、そうは見えないであろうし、原作と同じストーリーなら、おおよその展開がバレてしまうから、緊張感もあまりなくなってしまう。

だからといって、アナザーストーリーにすれば、そもそも「摩陀羅」というタイトルでなくても良いし、原作のファンを取り込むのは難しいだろう。

 

だから、原作を超えるものは中々難しいのだ、それが漫画だとすると余計、漫画の絵が浮かんでしまうので厄介であろう。

 

身も蓋もないが、この頃のファミコンはRPGの佳作が多く、この作品も言わば「ファン」とファミコンの音楽好きなマニアのものと言える。

そして、摩陀羅はシリーズが出て続けていたが、誰も最後を知らないが、そもそも掲載誌がいつ無くなったのか誰も知らない。

 

 

 

スターウォーズよりスターラスター。

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スターウォーズの最新映画が公開されて、おそらく本国ではスターウォーズフィーバーが訪れているのであろう。

私個人としては、有名ドコロのキャラクターは知っているが、どうも更におっさん世代の映画のイメージがあり、あまり知らない。

エピソードがバラバラに公開される意味も不明だが(きっと意味があるのであろうが)なによりも、なんでいつも戦争をしているのか、いまいち知らないし、調べようとも思わないのである。

 

そんな事を言うと、スター・ウォーズの素晴らしさを説こうとする奴らが必ず現れるのだが、このパターンは野球やスノーボード、あるいはカメラなどのスポーツや趣味の事を勧めるやつと同じで、本人に興味が無ければそもそもウザったいだけなのだ。

 

またこういったPC関連の事を聞いてくるくせに、

「フーン。なんか難しいんですね」

とか、

「いや、オレそういうの苦手なもんで」

と言ってまったく覚えようとしない奴にも同じことと言える。

 

であるわけで、久しぶりにレトロゲームの話題で今回は

ナムコの「スターラスター」を取り上げようと思う。

ファミコンで1985年に発売された擬似3Dのシュミレーションゲーム(なのか?)である。

この頃のファミコンを考えると、なかなか渋いゲームであったと思う。ファミコンの非弱なグラフィックで見事宇宙を表現した傑作ではないだろうか。

 

じつはこのソフト、コクピットから見た視点で宇宙を彷徨い、惑星間ワープを利用して敵をなぎ倒していくゲームなのだが、敵は4種類ほどしかおらず、音楽もほとんどなし、計器の音がするだけで、まさに暗黒の宇宙に放り出された感覚が体験できる凄いソフトなのである。

肝心のゲームバランスは、あくまで玄人向きで、大したヒントもないためかなり難易度が高い。

だが、眼下に広がる宇宙の広大さと、バッツーラと呼ばれる謎の敵対勢力、レーダーを頼りに戦う戦闘など

まったくメインターゲットの小学生を置いてきぼりにした凄い作品なのである。

だが、当時はこういう商業的にどうなのかという攻撃的な作品があり、その中でも宇宙を舞台にしたリアル系ではこの作品が黎明として記憶に残っている。

 

蛇足だが、ゲームオーバーになった時のでる階級がカッコよくて、このゲームのセンスのよさを表しているように思える。

 

つらそうな職場に見るありふれた絶望感

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最近特に思うのだが、例えば量販店、例えば100円ショップ、例えばファミリーレストラン。携帯ショップのおねえさん。

働いている人がなんだか辛そうだ。

どうやらいつの間にか、サービス業という奴は人道的にありえないところまで来てしまったらしい。

どうやらどこも少ない人員で店を回している事から、仕事が懲罰のようになってしまっているようだ。

彼ら、彼女らの給料が以前と据え置きで、仕事量が増えたのなら、あたりまえだが給料は減った事となる。

そしてその少ない給料に縋るように生きなくてはならないとしたら、それはかなりの絶望感ではないだろうか?

 

お客様に喜んで良いものを勧めるのが私の生きがいです。

 

なんて言葉がもし店員の口から出たのなら、そいつの目を見つめてみよう。必ず死んだ魚の目になっているはずだ。

なぜなら、今時の製品はどれも代わり映えのしない商品であり、それなりの機能はすべて持っている。つまりどれを勧めても間違いはあまりないだろう。

しかし本当に良いものは店員に勧められるものにはないだろう、何故なら彼らは良いものではなく儲かるものを売っているに過ぎないのだ。

 

つまり、バックマージンや粗利が全てであって、客の意向などどうでもいいのである。これはその店員個人が悪いのではなく、いま会社がそこまでしないと(管理者や経営者)が以前のように利益を上げられない事になっているからだ。

 

また、付加価値の付けにくいサービス業において人件費はもっとも圧縮させる事ができる経費だ。もし、あなたが想像以上に安価な品物を手に入れたなら、それは正当な仕入れ値を払われていないか、従業員に支払われていないかのどちらかである筈だ。

 

そういう事もあいまって現場は疲弊しているのであろう。そもそもリアル店舗の存在理由が薄れた今、そうなっていくのが時代の流れなのかも知れない。

 

消費税が4月で10%になると、サービス業は2割の人間の整理が必要だという計算もある、そうなるとマトモなサービスなど期待できないであろう。なによりも人間がやるには非人道的な仕事になってしまうのではないだろうか?

 

 

だから、そういったリアル店舗がもし必要なら、やはりロボット化しかないのかなあとも思うが、そうなると仕事がなくなると嘆く人も居るが、そもそも今の仕事が懲罰かもしれないと考えてみたらどうだろうか?

差し込むストレスにさようなら。リバーシブルマイクロUSB

 

 

 

私はスマートフォンは主にiPhoneをしようしているが、他にも読書用にキンドルHDX、他にもギャラクシーS6などを所有しているのだが、概ねどの端末も満足している。

が、唯一不満なのはマイクロusbが裏表がある事だ。

iPhoneをつかっている方ならご存知かと思うが、iPhoneのコネクタはリバーシブルで表裏がない。これは地味だが凄い便利で充電という毎日行う作業で一々表裏を確認する事の煩わしさを解消できる素晴らしい機能なのだ。

これだけでiPhoneを選ぶ理由にもなりうる(大マジ)が、ここに来てマイクロusbのケーブルでなんとリバーシブル設計のものが現れたので紹介したいと思う。

実は昔使用していたXperiaAXというダメ機種が、ケーブルの表裏間違いのため本体側コネクタが曲がってしまい買い換えた思い出があるのだが、それからマイクロusbの機器の充電にはかなり気を使うようになってしまった。

新しいネクサスにはタイプCが採用されていて、こちらはiPhoneのライトニングケーブルのように表裏がないらしくやっと出たか的なものがあるが、まだまだこれからの規格であるし、まだしばらくはマイクロBの機器を使用しなければならないので、この充電の度に気を使うのは勘弁して欲しいところである。

 

で、話は戻るが、今回私が購入したのは海外製品と思われるリーセンテックという会社のリバーシブルマイクロUSBである。

 

 

最初はめ込むのに恐る恐るでしたが、カチッと両面で差さるのを確認したら感激!

これは安いし、マイクロUSBの機器は他にもブルートゥスヘッドホンなどもあるので、何本も欲しくなる事間違いなし。

こういった商品が日本のメーカーから出ないのがなんとも残念だが、そういう規格外で出すことは今の日本のメーカーでは難しいのかもしれませんね。

一応私の所有している機器は全て大丈夫でしたが、うまく差し込めない機種もありそうなので一気に何本も買わないほうがいいかも。

 

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形状が菱型になっていてどちらでも差し込めるようになっている。