自由になりたくないかい?と歌った尾崎豊はもういない
はるか昔、ロックに生きるというのは反体制という意味の他に、自由に生きるというのがあったと思う。
そもそも自由に生きると言うのは何なのだろうか?
我々の社会は基本的に自由な社会と言われている。
他人の利権を侵さないかぎり基本自由のはずなのだ。
あなたが突然、自由に生きると言い出して、会社を辞めて、家族を捨てて、山に篭ってドラクエの賢者のような暮らしをしても、基本自由だ。(もちろん税金などの義務は発生するだろうが)
だが、我々を呪縛する何かは、それをする事に非常に冷たい。
あなたが、突然ロックに生きると言い出したら、あなたの家族はどう言うだろうか?。
親は配偶者は子供は、
そんなの関係ない、といえるのは中々いないであろう。
そもそもそんな事を言ったら、まるで犯罪者のように扱われ、あなたの自尊心を失わさせるであろう。
人はもともと心配するいきものである。心配しない生物がいままで生き延びる事はできないし、それは人間というDNAに刻まれた大事な部分でもあるのだ。
で、いざ自由になるために自己啓発本やセミナーなどに参加してみても、
「やっぱり無理だよなあ・・・」
みたいな感情にとらわれてしまう。
あるいは、リスクはつきものなのだが(なんでもこの世はトレードオフなのだ)リスクを抑える事だけを考えてしまい。アイデアを犠牲にして安全牌を切る事に終始してしまうなどだ。
先日SMAPが独立に対して揉めたというニュースがあったが、あれはサラリーマンが感じる自由の戦争に敗れた感覚に似ている。
自由を渇望するには、今の自分の生き方を捨てなければならない。
自由になりたくないかい?熱くなりたくはないかい?
と歌った尾崎豊はもう死んだが、その生命をもって自由を勝ち得たのかも知れない。