「人生の短さについて」
セネカ「人生の短さ」についてを読むと、紀元前の著作とは思えないほど、現代に通じる事が驚かされる。詰まるところ人間というのは、本当は変化などなくちょっとだけ、便利になった世の中に住んでいる。ただそれだけだという事である。
セネカは悪名高い「ローマの皇帝ネロ」の教育係であり、やがてネロにより殺害されてしまうが、彼は徹頭徹尾「時間を自分のために使うべき」と語り、最後までそれを実行しようとした男だが(しようとしたというのは、彼もまた時代に人生を左右された人物であり、自由を得ようとしているあらゆる人間と同じという事だ)その事をこの「人生の短さ」という本には書かれている。
パウリヌスというローマの穀物管理責任者に宛てた手紙という形式で書かれている、この書物は、パウリヌスが有能な人間である事を認めたセネカが、その人生の短さゆえのパウリヌスの仕事の多忙さを憂いで、彼に「人生は短い、有効に使うべきだ」と諭す。
その一節には「人は永遠に生きるかのように思っているが、その為に時間を浪費して、気付いた時には人生の終焉を考える年になってしまう」と語っている。また、
「人の土地に、誰かが侵入してその土地を奪おうとするなら、人は抵抗するだろう、だが時間に対して奪われても、誰も文句は言わない、時間も同じ財産なのに」
とも言っている。
当然、時間は有限であり、誰でもいつかは終焉がくる。当たり前だが、その当たり前が普段は忘れて我々は生きている。そう、毎年、毎月、毎日、やって来るのが当たり前のように感じているからだ。
だから、時間を切り売りして、やりたくもない事や低賃金で時間を浪費して、本当にやりたい事が出来なくなってしまっている。そんな毎日を過ごしてはいないだろうか?。2000年以上前から、人は同じことを繰り返し、時間を無駄に使い、いつかやろうと思った事を先延ばしにして、会いたい人や行きたい場所、一緒にいたい人の事をほったらかしている。
あした死ぬかも知れないと思えば、いつまでもあの人の傍にいる事は出来ないという事をちゃんと認識して、時間を使わなければならない。
勿論、その時間の使い方が、自分で納得できるのあれば、それでいいのだ。充実した時間を得たと思えば、それが他人の目で見れば浪費に見えても、それはそうではないから、時間はあくまで自己の中にあり、それは人とは流れている時間は違うのだ。
限られた時間を、有効に、そして素晴らしい人生になる事を!。