ジャンクな脳と記憶

本を通じて人生の幸福を考えています。

「AIvs教科書が読めない子供たち」

 

 AI。最近よく聞くこのワード、事ある事にAI、AI。このエーアイは何か凄いやつという認識でお茶の間にやって来た、いわば前評判の高い転校生のようなものだ。

 「今度くる転校生、凄いらしいよ。頭脳明晰、運動神経抜群、まさに才色兼備、それに性格もすごく良いらしい」

 「へーすごいね、もし彼が来たら、今の学級委員とかみんな首になって彼に変わるのじゃない?」

 「そうね、それだけじゃないわ、彼腕っぷしも結構強いらしいから、威張り散らしている、乱暴者のアイツの立場も無くなるのじゃない?」

 こんな風に噂される凄い転校生ではないだろうか。そして、そんな転校生がやって来る事をアタフタして、現行の権力を持った人達はやはり慌てるのであった。

 「やべえ、俺の立場が脅かされる・・・」

 「もう、俺の時代は終わったのか・・・」

 みたいに悪戯に不安を煽られるのだ。だが、注意して欲しい、この場合、上記の委員長も番長も、「誰も転校生の事を知らない」という事だ。

 

 AIもみんな知っているけど、本質は誰も理解していないという事である。

 

 AIは勿論コンピューター上の理論であり、乱暴な言い方をすれば「計算機」である。その計算機を我々は過大評価したり、過小評価しているというわけだ。

 

 確かに今AI等のテクノロジーが更に進歩して、世界が大きく変わろうとしているが、その動きはここ数年続いている事であり、その一部として捉える事が重要である。AIはその一部と言うわけだ。

 

 で、本書の数学者である新井先生は、AIは計算機なので、出来る事と出来ない事がるという。実際ロボットが東大に受かるかどうかを研究した「東ロボくん」プロジェクトでは「数学」「歴史」などは高得点を叩き出したが、「国語」「英語」などは落第点レベルだったそうだ。これは前の文章から読み解く「読解力」が備わっていない結果である。

 

 ここで本書のキモであるが、この読解力がAIは苦手だが、実は今の子供たちも相当不味い自体になっているという研究が本書には記載されている。

 

 子供たちの実に半数は、教科書が読めないという。教科書に書いてある事が理解できないというのは、日本語のルールを理解して、文節を紐解いて、前後の文章を組み立てる事で読める、それが出来ないと言うのだ。

 「そんなバカな」

 と思うであろう。日本人はすべてが読み書きが出来る、それが当たり前なのに!そうです、読み書きが出来るのですが、「読解力」が無いのです。

 あなたの周りには居ないですか?旨く言葉が組み立てられない、書いてある事が理解できずに、間違った行動をする。これは「読解力」が無い可能性がある。

 

 この「読解力」は当然「計算機」では出来ない、いわば人間のアドバンテージであるもので、唯一AIに勝るものである。だが、今子供たちの間で大きく広がっている「読解力」の無さの重要性をまだ多くの人が知らないままなのである。

 まさか子供が「教科書の読み方が分からない」なんて事を教育委員会も知る事も無いので、「読めるのが当たり前」みたいな前提では、この先益々そのような子供が増えてしまうのではないだろうか。

 

 これからAIに仕事の多くは取って変わられるのは、間違いないであろう。AIに炙り出された人たちの行く末は、低賃金で働くか無職しか無く、働く尊厳が失われてしまう。子供たちの未来もそのような未来なのであろうか?「読解力」にてAIが出来ない事を磨き、自分の頭で考えて、理解する必要がさらに強くなる時代になるという事であろうか。

 

 ちなみに「読解力」がなぜ低下したのか、「読解力」を上げる方法は、今のところエビデンスがある情報は無く、どうすりゃいいねん状態ですが、人間は習慣や努力で改善する事が多いので、理解しようとする心が大事なのかもしれません。

 大丈夫です、みんなで「読解力」を上げて、明るい未来を目指しましょう。