ジャンクな脳と記憶

本を通じて人生の幸福を考えています。

「書を捨てよ町にでよう」

 

 寺山修二の名著「書を捨てよ町に出よう」を読んだのはもう20年以上前の話だが、内容はすっかり忘れてしまったが、要するに「楽しさや学び」などは結局思考だけでは意味が無く、あれこれ考えるより行動しようと言う事をエッセイとして書いていたような気がする。当時はまだ若かったので、その意味をあまり深く考えてはいなかったし、どこに出しても恥ずかしくないくらいのインドアであったため、心にあまり響かなかったかもしれないが、いまは(タイトルだけで)意味が分かってしまうようになった。

 

 大体、幸福そうな人はあまり考えない、いや考えないのではなく厳選して思考を整理して、それを行動してしまう事だろう。

 例えば、私は年に何回か山を登りに行くのだが、あれこれ計画を立てすぎて、結局行かなかったり、行っても計画通りにいく事ばかり気にして楽しめなかったり、計画の途中でマイナスの思考(天気が雨だったらどうしよう、とか)が現れて気分が萎えたりしてしまう。ところが、行動力がある人は最初の「山に行くぞ!」と決めたら、具体的なルートを調べるだけで、もうバックパックを背負って出かけている。そう、その方がずっと幸せなのだ。

 

 100年前の哲学書「アラン幸福論」に「行動」について記してある部分があるが、人は思考が過ぎると幸福にはなれず、ただ肥大していく「情念」に支配されていく、この情念は出来ない事の理由付けをするやっかいな奴であり、「失敗したらどうしよう」とか、「あの人はどう思うだろう」みたいな感情である

 だが、ここで「行動」である。とりあえず「行動」すれば「前に進んでいる」自己肯定感が沸き上がるし、考えすぎの弊害も忘れる事が出来よう。あれこれ考える事は大事だが、考えて、あるいは書物を読んで研究する事ばかりでは、結局「何かしたつもり」から脱却する事が出来ない。

 

 「書を捨てよ、町にでよう」もあまり考えすぎて、頭でっかちになるよりいっそ「行動」してただそれだけに集中した方が、幸福になれるし、何よりも自分が肯定される事が大きいのではないだろうか?

 結局行動せず、あれこれ理由をつける事は「どうせ出来ない」と思い込むマイナスの思考であるから、ならいっそ「失敗」しても良い経験だと思い、とりあえず行動する。すると意外に旨く行ったり、失敗しても「次こそ」というエネルギーが湧いて来るのではないだろうか。

 

 さあ、今すぐ「書をすてよ、町にでよう」