ジャンクな脳と記憶

本を通じて人生の幸福を考えています。

書評「ストレスフリー超大全」

 

 

みなさんごきげんよう、ご機嫌じゃない人も多々いるでしょう。そう、この世の中、どこへ行ってもストレスだらけ、「幸福」ってなんだっけ?と自問自答したくなるこのっご時世・・・いや、本当に「幸福」ってなんだろう?

 

「幸福」になりたいと誰かが言えば、そうそう「幸福」に誰もがなりたいと頷くのだが、そもそも「幸福」ってなんだよと深く考えた事は無いという人も多いと思うが、当然その正体が分からなければ、「幸福」になりようがないのだ。

 

 私の友人で、二言目には「成功したいー」みたいな口癖の奴がいるが、

 「成功って何を成功したいのだよ」

 「成功っていったら成功だよ」

 「仕事で成果を出すって事?」

 「まあ、それもあるな」

 「金持ちになるって事?」

 「それも含めてかな」

 「女にモテたいみたいな?」

 「もちろん、モテたい」

 「全部って事?」

 「全部だな」

 「でも、お前無職で、金なくて、童貞じゃん」

 

 彼はそもそも「成功」したいというのは、何かの請け負いであり、成功の意味も知らなければ、成功も本気では無いという事だ。つまり、本質が分からないのに手に入れる事などない、目的地が不明なのに闇雲に「何か」を探すなんて、当然見つかりっこないわけである。

 

 そんな人にお勧めする「ストレスフリー大全」

 

 仕事を頑張る事が幸せ?

 人生の大半を占める仕事を頑張る事で幸福になると考える人は多いであろう。しかし、その結果、体を壊し、メンタルを壊し、やがてうつ病や過労死を招く事もあるだろう。

 仕事を第一に考える事で、家族とコミュニケーションが取れない事で、離婚や家庭崩壊を招く場合もあるだろう。

 幸せになるため仕事をしているなら、ベクトルが間違ってしまうと上記のような不幸になってしまうので、正しく「幸福」を理解しながら、それに向かっていく必要がある。

 

幸せのメカニズム

 当然だが、我々の体は科学反応によって喜怒哀楽が起こっている。今回のテーマである「幸福」の状態とは、脳科学の観点から言えば「幸福」とは「幸福物質」が出ている状態であり、それらは「セロトニン」「オキシトシン」「ドーパミン」と言われる脳内物質である。

 

 これらが出ている状態を「幸福」と呼ぶのなら、この3種類の脳内物質を適切な量を出している状態が一番ベストと言えるだろう。

 「セロトニン」は安らぎ、癒し、気分を担当する幸せ物質であり、何事にもポジティブに考える事が出来て、やる気が出ている状態が「セロトニン」が適切に出ている状態であると言える。

 逆にイライラしていたり、絶望感があってやる気が出ない状態なら「セロトニン」の分泌が少ないと言える。

 そんな状態ならまず「朝散歩」をすると良いらしい。朝15分から30分の散歩をするだけで、「セロトニン」が分泌され、悪い気分が緩和されると言う。

 

 次に「オキシトシン」であるが、これは繋がりの幸福感であるという。人間は社会性の動物であり、孤独はそれだけで体や精神に悪影響である。だが逆に人との繋がりがあると、それだけで幸福感が起こるのだが、これが「オキシトシン」である。

 あなたと繋がっている。家族や恋人など近しい人たちとの人間関係が「幸福」を呼ぶのです。

 パートナーがいる場合は、スキンシップを行う事を優先すべきで、仕事優先で家族とのコミュニケーションが取れていなくて、離婚や子供との良好な関係が築けなくなって失った時、初めてその大事さを知るというのはよくある話である。

 私事であるが、父親があまり家庭を顧みる人間ではなかったため、最後まで父親がどういう人間だったか知ることもなく、どことなくお互いに他人行儀であった。つまり家族であるが、家族で無くなってしまったのだ。結果すぐ家を出てしまい、父親が亡くなるまで顔合わせる事がほとんどなかった。それはとても寂しい事だし、ストレスであっただろうと思う。

 

 話が逸脱したが、「オキシトシン」はズバリ愛という事になる。人との繋がりが希薄な人は手遅れになる前に、コミュニケーションを摂ろう。もし、手遅れなら犬や猫などの動物を飼い、彼らとスキンシップを摂る事でも「オキシトシン」は分泌されるという。

 

最後に「ドーパミン」だが、通称やる気物質と言われ、何かを達成したり、手に入れたりすると出てくる成功物質である。

 だが、この「ドーパミン」は一番重要ではないのだ。一見一番大切のように見えるが、その効果が派手なだけで、一番その効果が長続きしない物質なのだ。

 

 かつ、成功しなければ「幸福」になれないと思い込み、逆に幸せから遠ざかってしまう事がある、恐ろしい物質なのだ。

 いろいろな情報が溢れ、その中でドリームを掴んだ人たちが実しやかに語る現代は、凡庸である事がまるで悪のように見える。だが、そんなものは一握りの人たちの幸運であり、再現性は限りなく低い、しかも幸せには何の関係ない事なのだ。

 金を儲ける事は大事だが、必ずしも「幸福」を目的としているなら、それは除外しても大丈夫というわけだ。仕事をやりすぎるより、目の前の大事な人と一緒にいるほうが幸せになれるとしたらどうだろう?。

 

 さあ、「幸福」になるため、規則正しい生活で体をラクにして、大切な人たちとコミュニケーションをして、「幸福」になろうではないか。