ジャンクな脳と記憶

本を通じて人生の幸福を考えています。

映画批評「ノマドランド」

 

 

今回は「ノマドランド」を紹介する。

いや、この作品注意がいる。

独り者の寂しがりやは見てはいけない。

間違いない。

寂しすぎて悶絶するかもしれない。

 

さて、前置きはさておき、

ノマドランドとは、の前にウィキペディアで「ノマド」を調べると。

遊牧民とかを現す言葉らしいが、最近ではノマドワーカーなどの時間、場所に捕らわれる事のない仕事をする人たちの事を指す言葉が主流と思われる。

だが、「ノマドランド」における「ノマド」はまさに遊牧民(そう、ジプシーのような)のそれに近い。

 

あらすじ

企業の破たんと共に、長年住み慣れたネバタ州の住居も失ったファーンは、キャンピングカーに亡き夫との思い出を詰め込んで、〈現代のノマド遊牧民〉として、季節労働の現場を渡り歩く。その日、その日を懸命に乗り越えながら、往く先々で出会うノマドたちとの心の交流と共に、誇りを持った彼女の自由な旅は続いていく──。

 

まず、主人公のファーンの境遇が、愛する人を失い、住居を失うところからスタートです。この時点で半端ない悲壮感が流れます。

持っていたキャンピングカーで暮らしていくファーンは、知り合いの子供に「先生はホームレスになったの?」(ファーンはその子に勉強を教えた事があり、そのせいで先生と呼んでいる)などと聞かれたりして、ファーンは地元から遠くへ旅立っていく。

 

途中で、同じようなノマド達とのでありもあり、短期で働く場面ありと、ロードムービー風の映像が続くが、ファーンはいつも孤独であ。

 

ファーンは決して嫌われる人ではなく、心配して手を差し伸べる人たちもいるし、好意を寄せる人も途中で現れる。

だが、共通して言える事は、彼らは帰る場所があったり、大きな目的をもっていたりする事である。ファーンとは根本的に違うのである。

 

アメリカの美しい自然、ノマド達の自由という強靭さ。

 

とにかくアメリカの自然が美しい。そして「ノマドランド」には悪い人は居ない。出てくる人間はそれぞれの事情があるが、けっして狭量な心をもった意地悪な人もいない。人間は自然の中ではあくまで対等なのだと思い出させる。

 

そして、すべての人々が定型の幸せを求めている訳ではない事が伺る。

ファーンの車が故障した時、お金を借りに姉の元へ行くシーンがあるのだが、姉である彼女はファーンの自由さが羨ましかったと呟く、また、ファーンに好意を寄せていた男性の家に一緒に住んで欲しいと言われたとき、

ファーンは夜中にベットを飛び出して、キャンピングカーで眠りにつく。

このシーンが「ノマドランド」のすべてを現していると思う。

 

アカデミー賞を受賞したこの作品だが、寂しくなる事を覚悟してご視聴する事をお勧めします。

 

★★★★★