そもそも全能の神は全能が故に存在しない。さよなら神様
以前紹介した。麻耶雄嵩の「神様ゲーム」の続編で、鈴木太郎こと「神様」が犯人を提示して、それを逆説的に思考していくスタイルであり、前回が一つのストーリーを追うに対して、今回は5篇のオムニバス方式を取っている。
今回も強烈な摩耶節は健在で、最後に救いのない答えが待っていると言う事は言うまでもない。
神様がもし身近にいたら、という思考は幾つかの矛盾を孕んでいるが、幾つかの理屈を「神様」は提示しているが、どれも屁理屈と捉えられてもおかしくない答えを用意しているが、(彼は退屈だからと、宣う)彼が神様なら、そもそもそんな説明も要らない筈だし、(勿論退屈だから、人間のレベルに合わせて物事を説明している、とも言えるが)退屈なら不自由な小学生を選択するはずがないのだから。まあ、そう言ってしまえば、物語自体が成り立たないので仕方ないのだが。
所々に出てくる「虚無」と「真実」神が当然人間のために存在している訳ではないので、「神様」鈴木の言葉は決して優しくはない。むしろ意地悪な答えに終始しているが、それは人間社会(この世がと言ってもいい)が不毛で虚無だからだろう。
この作品は総じて「人間の愚かさ」を書いているが、神様の言葉を借りるなら、「退屈しのぎに良いのかも知れない」
物語は以下の5編で構成されている。
- 少年探偵団と神様
- アリバイ崩し
- ダムからの遠い道
- バレンタイン昔語り
- 比土との対決
- さよなら神様
とにかく主人公の周りの人間が死にまくり、小学生とは思えない語りぶりが物語を奇異にしています。特徴的は前述で述べた、最初に犯人は・・・だ。
最初に犯人が提示している構成は「刑事コロンボ」のようであるが、本作のほうがよりプロットは複雑だ。
摩耶氏独特の倫理観にて、もやもやして終わるのも今回も健在だが、前作を含めて麻耶雄嵩を読むなら、この2作を推薦したい。
最後の章「さよなら神様」の最後のページの❤がこの作品の真実の軽薄さをあらわしていて、ある意味すごいと思う。