ジャンクな脳と記憶

本を通じて人生の幸福を考えています。

人間が感じる幸せは些末な事が多い

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最近めっぽう寒くて、「その方が精神が引き締まる」なんて嘯いていたのだが、やっぱり寒いものは寒くて暖房器具に頼っているのですが。

先日、いわゆるスーパー銭湯に行ってきて露店風呂に入浴してきました。露天といっても四方は壁に囲まれて、見える景色はまるで刑務所。景観はまあ、町中なのでしょうがないのです。

そんなパチンコ屋の反り立つビルを見つめながら、お湯に浸かっていると自然に

「はあー」

なんて声が出てしまい、すっかりおっさんやなーなんて思っていると、周りも似たような反応、老若男女とわずどうやらお風呂に入ると同じ反応らしい。

人間が生物である以上、冬場に温かい思いをするとそれは幸せな気分になれる。同じ事で寒い日に温かいスープなどを流し込むと、それだけで多幸感が得られるなんて事、みなさんも経験した事があると思う。

つまり、我々は現代人を気取っているけど、人間の体はちっとも進化していなくて、いろいろ幸福の形はあるにしても、こういった原始的な幸福がなんといっても一番幸福である場合が多い。

我々の社会はとても複雑で、TVを点けたり、何か雑誌などを開くと「プレジデント特集」とか、金持ちになる方法的な話題がいつも人気だ。

だが、実際の幸福感はじつは簡単に手に入る可能性がある。それは身体をまずその体が求める原始的な欲求を満たしてやる事だ。

 

難しい事ではなく、前述の風呂や温かい飲み物、温かい布団など体温に関係するものを満たす。これだけで、かなりの多幸感が得られるだろう。

「快適」という言葉がある。これは、身体的に手足が寒かったりせず、腹が痛いとか、頭痛がするという事が無く、なおかつ精神で心配ごとが無い状態であること。

となっているが、まず体調を整える事で、ある程度幸せに成ることは先程書いた。では、精神はというと中々難しいと思える人が多いのではないか。

あなたが悩める事が成人であるなら仕事がほとんどではないだろうか、それならば簡単だ、幸せの定義が人間としての原始的な体の欲求であるのなら、仕事を簡単なものに変え、あなたが働く意義をそういった「健康」であったり「精神」の安定に務めるべきなのだ。

ジェリーミントンの著書「心の持ち方」によると「人は自分の自尊心が高ければ、人の評価を気にしない」とあるが、ようするに「仕事」を嫌でしていて精神を害している人は非常に体面を気にしているという傾向があるのではないだろうか?

多くの人に聞くと「俺は幸せになりたい」的な言葉を聞くことがあるが、具体的に幸せの定義がはっきりしていない場合が多い。

 

「心」と「体」のバランスは誰もが大切と感じているのに、そこを疎かにして果たして人生が幸福である事が出来るのであろうか?

 

「そんなこと言ったってな、俺には家族を養わなければならないだ!」

「簡単にいうけどな、仕事を無くしたら周りになんて言われるかわかならいよ」

みたいな意見を(半切れされながら)聞くことが多いが、誰も「働かなくて良い」などと言ってないし、「家族を養う」というものに反論する気はない。

ただ、今の生活が破綻するという事は実はあんまり無いと思われるだけだ。

生活レベルを下げる事を極端に嫌がる人がいるが、そういう物質的なものに囚われなくても生活のレベルは上げる事が出来るのは前述した通りだ。

本人が幸せであるなら、そこに集う人も幸せであろうし、もちろん仕事無くして真の幸福は無いと感じるが、それが自分を不幸にしているなら、働き方を変えるべきなのである。

前述した通り、人間は簡単に幸福になれるのだから。