ジャンクな脳と記憶

本を通じて人生の幸福を考えています。

小売は奴隷なのか?

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さて、正月休みも明けてサラリーマンの方は早くも憂鬱な気分になっている方も多いと思う。

逆に正月をあくせくと働いていた小売やサービス業の方は、ほっと胸を撫で下ろしている人も多いと思う。

正月売り出しが終わっても、代休が取れる会社は(恐らく)僅かで、大体の方はそのまま通常業務になっているパターンが多いと思われる。

そんな小売業のところに、休みが明けてもサボりに来るサラリーマンを見ると殺意がボワッと浮かんでくる人もいるのではないだろうか?

 

「いらっしゃいませ(コイツ散々休んでおきながら、まだサボるのかよ」

「いつもありがとうございます(こっちは休みなしなんだよ、早く帰れよ」

 的な事を思っていたとしても許して欲しい。誤解を恐れずに言うとまるきり奴隷のように使われているからなのだ。

そもそも、長期休暇もなく(正月や盆などだ)報酬もそれほどでもない事が多い、さらに見下した連中の相手をしなければならないと来たら、それは大変な事なのであろう。

 

最近はそのような過酷な状況によって、人手不足が深刻化していると聞く。だが、一部のサービス業らは、そんな事は関係ないように募集が殺到していると聞く。

スターバックスなどのいわゆる「オシャレ」な店などは、それこそ多少過酷でも人が集まると言うし、そこで働いている人はおそらく、そこで働く自体がステータスであろうし、またこういった少し高価であり、また洗礼された空間には、不釣り合いな人間はそもそもあまり来ないのであろう。

具体的に言えば「100円ショップ」などでクレームを大声で上げているオヤジは、決してスターバックスで烈火のごとく怒り出しはしないという事だ。そんな事をすれば、自分自身が不釣り合いという事を自分自身で証明しているのと同じだからだ。

だから、人々は「100円ショップ」より「スターバックス」で働く事を望むし、実際その方が労働者として人道的だ。

だが、その半面、自尊心が低いため、自ら懲罰的な仕事を選ぶ人たちもいる。

「俺なんてどうせ、これくらいがお似合いだ」

そういって場末の中古ショップで働くことを望んだり、自分の希望とはおおよそ離れたものを選んでしまう人がいるのもまた現実なのだ。

職業に貴賎なしとは、結局それをやらせるために考えた詭弁なのであろう。もちろん、人のやりがいとかは第三者が判断できるものではない。

場末のピンサロの呼び込みに誇りを感じている人もいるかも知れない。

だが、一般的に小売やサービス業は削減できる限界に来ているのにも関わらず、まだ削減をしようとしている企業が多いので、なかなか厳しい気がするのは私だけではないだろう。