ジャンクな脳と記憶

本を通じて人生の幸福を考えています。

テクノロジーが僕達を幸福にするか?

例えば、いまから百年も遡れば、世の中は同じ地球かどうか疑うくらい今の生活と違うだろう。あたりまえの事だが、生産力がムーアの法則ばりに上がっていた産業革命以降の生産力は、国民全体の生活の向上が目に見えてわかる時代であっただろう。

よくこの時代に生まれてよかったと思うこと。などとどうでも良い質問がこの世には溢れているのだが、まあ敢えて言えば。

「エアコンがある」

くらいになるだろうか、あの馬鹿みたいに暑い夏が和らぐのが、たかが10万前後の機械で手に入るなんて最高じゃないですか。

最近の流れで、科学的なものは悪で自然的なものが全て良いという主張が、なんとなくオシャレな感じでもてはやされるような気がするが、果たしてそうなのだろうか。

 

「今の時代は、物質的なものに満足する時代じゃないの、電子的ななにかを捨てて自然に回帰するのよ」

 

と菜食をオシャレと勘違いしている、ロハス女子はそう云うかもしれない。

 

「じゃあ、自分で野菜育てて、エアコンも点けず、風呂にもはいるなよ!」

なんて言おうものなら、

「馬鹿じゃないの」

と一蹴されてしまうのであろう。

つまり、彼女たちのいうエコやロハスというのは「カッコいい」かどうかであり、つまるところ誰かに言ってもらいたいだけのものなのだ。

いや、ひょっとしたら、野畑を駆け巡り、山小屋に住んで、イノシシを狩るような方もいるかもしれないので、それは言い過ぎなのであろう。

まあ、そういう人の生活も実はテクノロジーがある上での前提である、という事を忘れてはいけないと思うわけですよ。

確かに地球環境は悪化の一途を辿っており、人間以外の個体がいまや絶滅の危惧に置かれているというのはとても深刻であるが、その救済もテクノロジーの力を必要としているはずだし、テクノロジー抜きではその危機感すら漠然としたものになってしまうのだ。

確かに産業革命以降、人々の暮らしは同じ人類なのか見紛うくらいの垂直発展だったと思う、数千年もよっちら非生産的な生活をしていた人類が、あっという間に車を走らせ、超高層建造物を造り、宇宙にまで飛び出してしまうのだから、そりゃ弊害もありますがな。

ただ、ここで言っておきたいのは、まるでテクノロジーが悪者みたいな扱いを受けているのが許せない訳ですよ、今までテクノロジーを突き進んできたのなら、そりゃもうその道を極めるしかないとおもうですけど!。