師走という病
1月1日は世界的にも区切りのつける為の重要な日だ。
この時期となると、あちこちで師走だからという言葉が出ることが多い。
師走だから忙しい、という意味だろうが本当にそうなだろうか?
油ギッシュなおっさんから、その言葉が発せられる度(必要以上に)反論したくなる思いがムクムクと湧き上がる。
そもそも、昔は正月がお店も休みであったために買出しや、年の区切りとして今年中に終わらせてスッキリしたいために、急いで買い揃えるために店や道が混雑していた事かと思うが、いまや日本を代表する奴隷生産企業達が正月も営業しているのでなんにも心配が要らないではないか。
そもそも、おっさんは忘年会の事しか頭にないだろう、と訝しく思ってしまうほど、わざとらしい発言に思う。
つまり、忙しい人は年がら年中忙しい訳だし、いまや年の区切りの観念すら失われる以上、師走だからって言うが、おっさんは言いたいだけであろうと邪推する。
ほしい物があれば、ネットで事がすむし(ヤマト急便の人は大変だが)別に3カ日外食しても良いだろう。掃除だって普段からしていれば良いし、なにをそんなに慌てる必要があるのであろう。
確かに、人はスイッチというか、切り替えが必要な場合がある。
何かの区切りがなければ、人はズルズルとその事を引きずってしまうであろう。
「来年から本気出す」は決して言い訳ではなく、大抵は本気で思っている事が多い(少なくとも、神仏前では誓うであろう)
だから、私は正月を否定するつもりはない。
いや、むしろ歓迎すらしている。
だからこそ、正月は法律で「必ずすべての人が休む」にすれば良いと思う。
そんなことをしたら、経済が後退するとエコノミストは言うかも知れないが、そんな事はないであろう。欲しい人は結局その前後で勝手に買うであろうし、休みと分かっていれば事前に準備をするのが人間だからだ。
そうすれば、正月にも働かざる人も(大多数は、医療やインフラは難しいだろうが)正月を迎えて、奴隷としての自分の人生を鑑みる事ができるのではないか。
つまりですな、みんな煽られすぎで忙しいように思えるだけじゃないのかと。