ジャンクな脳と記憶

本を通じて人生の幸福を考えています。

何故アフロなのか?-寂しい生活

稲垣えみ子さんの著書「寂しい生活」を読破した。

彼女を知ったのは確か「報道ステーション」に出演した時であったと思う。その相貌もかなりのインパクトであったが、言動も一線を駕す発言であった事で興味をもった次第である。

稲垣さんは強烈な「ボンバーヘッド」であるが、すっぴんの顔は驚くほど若く、堂々とした物言いは、完全に他のゲストやキャスターを飲み込んでいた。

そして歯に衣着せぬ発言で、見ているほうが焦ってしまうほどであった。

その発言は「物質社会への警鐘」であったが、ミニマリスト的な発言はTV番組ではスポンサーに配慮して中々言葉に出来ないが、稲垣さんはそんな事はお構いなしに、

 

物はもういらない

物がなくても平気

的な発言をしていたので、スポンサーのセブンアンドアイなどに抹殺されない事を祈ろう。

 


寂しい生活はちっとも寂しくない


 で、著作の「寂しい生活」は物質社会の雄である家電商品に焦点を当てている。

どの家庭にもある電化製品だが、本当はそんなものは無くても生活していけるのではないか、と稲垣さんは考えます。

そのきっかけは母親に高価な家電製品を買え与えても、ちっとも幸せではなく、むしろそれのせいで不幸になっているのではないかと(使いこなせない葛藤や、メンテナンスによる時間の浪費のよる)

そして、実は、TVも洗濯機も冷蔵庫も掃除機もいらない事に稲垣さんは気付きます。

稲垣さんはとてもストイックで、あらゆる電気を消して、自然に回帰していきます。

電気代は3000円になり、1500円になり、700円になっていき、そうして電気を使わない生活を続けると、稲垣さんはまるで仙人のようになっていきます。

 

   


オール電化マンションで、電気を使わない


 

そんな稲垣さん、よく理解もせずオール電化マンションに越してしまう。しかし電気でお湯を沸かす「深夜電気温水器」いわゆるエコキュートとの闘いが始まってしまう。

深夜電気を使用することで、料金を安くするように開発された電気温水器ではあるが、そもそも、資源を使いまくってエコと語るとはおこがましいと稲垣さんが思ったかどうか不明であるが、とにかく稲垣さんは深夜電力がお得なプランなるものによって、昼の時間帯が逆に料金が高くなったり、基本料金が高いことがどうにも我慢できず、オール電化マンションなのに、電気温水器のブレーカーを落とし、お風呂は近くの銭湯に行くという、もはや意味不明の状態になりつつあるのでした。

   


家電の大きさはエゴの大きさ


 冷蔵庫の大きさは、欲望の大きさであり、大きければ無駄に何かをため込む事となる。

人は「いつか」という言葉をつかい、身の丈に余るものを買っていく、二人しかいないのに600リットルはいるような巨大な冷蔵庫を購入して、せっせと何かをため込んでいるいる人は居ないだろうか?なぜか一つの世帯に冷蔵庫がいくつもあったり、各部屋にTVが配置してある家庭はないだろうか?

もともと我々は有限の時間しか持ち合わせてはいない、TVを何台も同時に見る事がなければ、巨大な冷蔵庫にはいる「いつか」食べる食材もそんなに食べれるわけではない。

つまり、人生のサイズを失わせるのが家電というものなのかもし得ない。

そんなエゴから離れるために、稲垣さんはせっせと家電製品を処分していく。

そこに現れたのは、人間としての当たり前のサイズ感というやつなのだろう。

 


家電を捨てて、健康になる


 稲垣さんは当然エアコンなんか使わない。夏は扇風機すらかけない、冬はなんと火鉢を使って暖をとっている。

すると、暑さや寒さに強くなり、ちょっとやそっとの寒暖などものの一つもしないくなるのであった。

そして、季節の変わり目が認知できるようになり、天候などの変化もわかるようになるというのだからすごい。と、いうか私たち人間は、原始の時代、季節を見極めながら暮らしていたのだから当然といえば当然であろう。私たちの体は、そのような微妙な変化を感じる事が出来たのだ。

それがいつの間にか、季節を忘れ、体がなまり、現代病というものに悩まされているのは、過保護された日常に問題があるという事なのだろう。

それは稲垣さんのような、家電なしの生活をしてみればわかるというものだろうか(とても全部は真似出来ないが)

   


究極の便利はねたきり?


 稲垣さんはついに、築45年の古民家に住み始めます。

まるで隠者のような暮らしぶりが、何故かすごく素敵に見えます。

稲垣さんは世の中のめんどくさい事が、生きている証といいます。確かに便利といわれる家電に時間を奪われている人は多いと思います。所有することが、幸せになると思い込んでいる人はちっとも幸せでない事が多いのだ。

掃除機などなくても、物が散乱していなければ床は箒で履けば良いし、そもそも部屋が広くなければ、モップで十分なのだ。掃除機は一見便利のように見えるが、メンテナンスがいるし、それを出して掃除するというのが何となく楽しくない。コードも邪魔だし、掃除機を使うと余計時間がかかるという稲垣さんの言葉もよくわかる。

   

最後にIoTなるものは、果たして人間を豊かにしてくれるのであろうか?今のところ外からエアコンを入れたり、スマートスピーカーのお姉さんの声に卑猥な言葉をかける?くらいしかないIoTだが、究極は人間は寝たきりで、あとは機械に行ってもらう事のようだ。

そんな世界は誰が歓迎するのであろうか?そもそも人生はめんどくさいものであり、我々の体は動かすために存在しているはずである。

 

結論を述べる。

家電は確かに人々の生活を豊かにしたが、ありとあらゆるものが家電によって支配されてくると、人が逆に家電に支配されてしまい。その結果、時間、或いは人生を奪われてしまうので、ほどほどにしておくべきである。