ジャンクな脳と記憶

本を通じて人生の幸福を考えています。

人を動かしたいなら、「やれ」と言ってはいけない―思い通りに部下が動く“すごい”伝え方 ー妄想書評ー

 

 

前回についで妄想の書評を致す。この書評はまったく本の購入に寄与しない内容である。(そもそも読んでいない)タイトルなどを見て勝手気ままに書きなぐるものであり、なんの役にも立たないものである。

そもそも本屋で立ち読み文化が無くなった今となっては、アマゾンなどの電子書籍とか通販などでは本は博打に近くなってしまったので(試し読みとかレビューとかは今や役に立たなくなってしまった)どうせなら、もうタイトルだけで中身を決めてけてしまおうというのが趣旨だが、本当はネタが無いので適当に理由をつけているだけだ。

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紀伊国屋書店のランキングに「おっ」と思うもの(タイトルだけだが)あったので、今回は

人を動かしたいなら、「やれ」と言ってはいけない―思い通りに部下が動く“すごい”伝え方

という長いタイトルのビジネス書を妄想してみる事にする。

 

ところで、ビジネス書は、〇〇にてCEOとなり、ベンチャーの起業をした的な仰々しい経歴ばかりなのだが、こういったオレオレ的な発想の御仁が、自分のやり方を教えてやっていいぞ的な事で書くのだろうか?

たまには全然成功していない、ちりめん屋のオヤジの人生哲学みたいなのを出したらどうだろうか?まぁ売れないだろうが。

 

で、タイトルからして悩める管理職が読むであろう内容であろうか?バブル世代のおっさんが厳つい顔(なぜ彼らはいつも厳つい顔をしているのだろうか?)をしながら、中々言うことを聞かない若者の部下に業を煮やして、この本を手に取り、そうか!この手があったか!的な事を思うのであろうか。

 

こう言えば、こう返すというテンプレートが成り立つほど若者は愚かではないと思うが、ここでおっさん部長の田中部長がいたとする。

 

田中部長は叩き上げで、営業成績が認められ部長に昇進したのだが、彼の部下である新入社員鈴木くんは、どうも田中部長の言うことを馬鹿にしている風がある。

事あるごとに田中部長は「営業は足で稼ぐものだ!そこには楽な道はない!」と自分が叩き上げられた理論を部下たちに披露する。ところが、最近の若者はそういった理論が心に刺さらないらしく、事あるごとに「はあ」という気のない返事をするだけである。

 

「おい鈴木、お前はお客様への返礼をワープロで書いているそうじゃないか」

「はあ、そうですが」

「いいか、お客様への返礼はちゃんと手書きで書け、俺なんか筆ペンで何百枚と書いていたぞ、そうしないと心は伝わらないものだ」

「でも部長、顧客データーはデーターベースから直接印刷できるので、そのほうが効率が良いですよ、顧客もキレイに整えられたフォントのほうが読みやすいでしょうし」

 

若いやつはいつもそうだ、合理的とか効率とか生産性とか、俺が一般職だった頃は部長の言葉は金言であり、必ず服従の啓示のようなものだ。それをコイツは事にかいて「はあ」とか「出来ない」とか平気で言いやがる!

最近の若いやつはなっとらん!!!!

 

的な事はよく聞く話だ。

時代の違いと言ってしまえばそうなんだろうが、おっさんにはおっさんの言い分があり、若者には若者の言い分があるから、議論は噛み合うわけがないのである。

おっさんは自分の過去と照らし合わせて、何故自分のようにしないのかが疑問だし、若者は若者で何故、そんな現代的でなくかつ非効率な方法、そしておっさんの仕事命!という精神が理解できず、まるで異物を見るような扱いになるのは当然だ。

 

そんなおっさんは、言わば異世界から現れた若者を扱うため(都合の良いようにだが)このような本を手に取るのであろう。

 

ちなみに私がまだ若かった頃はロックブームであり、「世の中の歯車になるな!」的なメッセージが、頭がクシャクシャで逆だっていた(色も付いていた)歌手から発せられて、それを鵜呑みにする若者が一定数いたが(私の事だ)

ある意味、今の若者は図らずともそうなったのではないのだろうか?

もちろん、逸脱する事がない分、今の若者のほうがマシな気がする。

 

読んだ方、ぜひ内容を教えていただきたい。