ジャンクな脳と記憶

本を通じて人生の幸福を考えています。

何を始めるのではなくて、何を止めるかが問題だ。

 

 

みなさま明けましておめでとうございます。すっかりサボってしまった当ブログですが、忙しさとおっさん特有のイベント何もない日々のため、書くネタがない事ですっかり成りを潜めてしまいましたが、ひっそりと書いて行こうと思いますので、今年もよろしくお願い致します。

 

さて、表題の件ですが、新年にあたって各会社では、新しい取り組みをどうとかこうとか、偉い方が言っていたのではないでしょうか?、またメディアを見れば「新しい自分を探しに行こう」などと宣わって、その言通りに耳を傾けるとヘンテコな英語教材であったり、これからのトレンドはコレだ!的な「新しい自分」というより、「散財した挙句に自己嫌悪に陥る自分」的なものに成り下がるのが関の山という事が在るのではないでしょうか?

 

話を戻すと、やたら新しい事に固執したがる人間はあまり考えていない事が多いが、人材は有限であり、新しいことを考える事は良しとしても、それを行う人間が増えていなければ、結局同じ人間がその分仕事を増やして行う事になり、(大して利益が出ないのに)時間を取られて本来の事が出来なくなっているのではないでしょうか?

 

こんなことを続けていれば、やがて労働者は仕事が超過し破綻する事が目に見えているのに、そこに目が行かないのはどういうことなのでしょうか?

「気合だよ、気合」

やたらモチベーションが高い先輩は言うかも知れないが、実は「気合」も有限である。

 

ここで提案である。全てのものはトレードオフで出来ています。つまりキャパシティーが決まっていて、ある限界値を超えるとパフォーマンスが急激に落ちる。

これは人間だけに限らず、万物はそうであり、「気合で乗り切る人」であっても全てをできる訳ではない。

これは会社という営利を追求する組織の中であって、「プラス」の発想こそが正義という「幻想」が実は「マイナス」という皮肉な結果となって皆を苦しめているという事だ。

だがら、今年は何を始めるのではなく、何かを止めるという事に視点を変えたらどうだろうか?

これは何も仕事の事だけではなく、私生活であっても言えることであって、メディアがいう「自分を変える」的なメッセージは正しいけど、正しくない。

まず余分なものをそげ落とす事にこそ、今の時代は真価があるのでは無いでしょうか?