ジャンクな脳と記憶

本を通じて人生の幸福を考えています。

電気は自炊?わがや電力。

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わがや電力。ヨホホ研究所のWebページにて直販で販売中。

 

ヒッピーでミニマリストでライターという謎の人である「テンダー」さんの著書である「わがや電力」はテンダーさんが代表を務めるヨホホ研究所が発行している、いわゆる太陽光発電の本だ。

この本によると、小学6年生の理科の知識があれば戸建て一軒の電力時給は可能という

 

信念?を具現化するための指南書である。

 さて、近代に生まれ出た私たちは、一つの回答として物質社会に身を委ねるという選択があったのだが、これはもう旧世代の考え方のように思える。

今はどれだけ自然に回帰して、無駄な効率の悪いものを遠ざけ、心の充実を得るためには物質に縛られた毎日を見つめなおすというのが昨今の考え方なのだろう。

こういったロハス的な考え方を電力という観点から考えて見ると、我々はエネルギーの浪費を通り越して、まるでエネルギーを無駄にするために生まれたような錯覚すら受ける。だが、いくら家電製品などの快適商品を駆使しても、真の快適さを得ることは難しい事を我々は実感として感じているはずだ。

え?エアコンがあって、冷蔵庫で冷えたビールを飲んで、TVを見るのが幸せじゃないの?

ああ、確かに家電商品は我々をやるべき事から開放してくれた。それは現代として大いに享受するべきであろう。

快適の定義として、体にどこも異常が無く(手足が冷たかったり、お腹が痛かったりしない普通の状態の事だ)温度が適温で、将来の心配が無いというのが快適と呼ばれる状態らしい。

もちろん、電気を使いエアコンを発動させて適温にする、これで一つは快適だ。

だが、我々は将来にいつも不安を描き、働きすぎのストレスで体調を崩している人も多い。ストレスで多食になったり、イライラで怒鳴り散らしたり、家族とのコミュニケーションの不足で家族とも疎遠になってしまったり。

つまり、電力でいろんなものをフルパワーで動かしても、快適になるとは限らないという事だ。もちろん電力は大事で、いまさら過去に回帰など言うつもりはない、ただ我々の周りにはいつでも過剰なもので溢れており、その過剰なものを求めるために財を失いまた馬車馬のように働かなくてはならない。

ちょっと話がズレたが、いわゆる電力は必ず必要だし、それは送電してもらわないと受け取れないものであり、つまり一生電気代を払い続けるという、いわゆる負債という事になる。

そんな電力を自分で作る事ができたら、それは大きな電力でなくても個人が使うくらいならひょっとして、自炊する事ができるのではと思わせるのが本書だ。

 

そして本を読み進めると、それが可能である事と、巷にありふれる太陽光発電の施工がいかにエコでないかわかってくる。

売電というシステムはそもそも施工業者が儲かるためのシステムであり、それを外して自分が使う分だけ発電を行うというエコの観点から見ると、その施工費用のあまりの差に驚く、そもそも補助金がなければ普及しないシステムなど、エコである筈がないのだ。つまり金融商品としての太陽光発電ではなく、地球に住む住民としての太陽光発電とはどういうものなのか学べる書なのではないだろうか。

 

そして、多くのエコを語る人々が実際は豪華な家に住み、電気を浴びるように使用しているのに対して、この著者の生き方はすごく説得力があるなあと思うのです。

何故なら、彼は電気会社と契約せず、家を自分で修繕して、薪で暖を取りながら生きているのだから。