ジャンクな脳と記憶

本を通じて人生の幸福を考えています。

男には戦わなければならぬ時がある。戦いの挽歌

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鋼の縦と、鋼鉄を叩き上げて作り上げた片手剣を持ち、悪の軍団相手にたった一人で立ち向かう男がいる。

それが「戦いの挽歌」である。

核戦争後の荒廃した世界を統率している剣王を、あらゆる剣技をマスターした主人公が立ち向かう様を描いたファミコンソフト「戦いの挽歌」は、当時の世相をよく表した秀作であるのである。

 

まず、このソフトが発売された1986年は、まだ冷戦が続いており、核戦争の話題が未だ現実的にあった時代であり、その世界観は少年ジャンプに連載されていた「北斗の拳」にかなり似ている。(というかソックリである)

暴力で支配された秩序の無い世界で、自由を取り戻すというのも似通った設定だし、敵のボスが剣王アキレスと拳王ラオウで字が違うが、どちらも読み方が一緒だ。

今なら、その似通った設定に何らかの異論が唱えられる可能性があるが、当時は「北斗の拳」の空前的ブームに則り、あくまで「オマージュ」的な存在が許されていたのであろう。

 

で、この渋いタイトルは暴力には暴力を振るう、なんだか救いようにない内容なのだが、出て来る敵の勢力が中世の鎧を着込んだ化物と形容するしかない、謎の人間達なのだが、所々で近代兵器を操る不可解さがいい味を出しているようだ。

 

つまり、剣と盾で戦う主人公に合わせて、銃などの兵器は使わず、あくまでナイフやら、手に仕込んだ鉤爪であったり、鉄球などの扱いにくい武器を使う辺り、以外に敵もジェントルメンなのかもしれないと感じるのである。

 

ひょっとして、敵の剣王も何か理念に則って、止むを得ず暴力で統治しているのではないだろうか、とか訝ってしまう。

そもそも、何かに統治されなければ、不安定な勢力があちこちで無秩序でもっと酷いことが起こる可能性はあるので、そういった意味では剣王の統治もあながち悪いことでは無いのかも知れない。むしろ剣王を悪と決めつけ、同じように暴力で解決しようとするアメリカ的な考えこそ問題があるのかも知れない。

剣王を倒した後の世界は語られる事は無いが、その後は主人公がこの世界を統治したが、結局剣王の代わりになっただけで、支配が続いていく・・・なんて結末だったりして、

 

で、このゲームまったく女性が出てこない硬派なゲームであり、出てくるのはイカレタヘビィメタル系のおっさんばかりというのが、ある意味「戦いの挽歌」なのだろうか。