ジャンクな脳と記憶

本を通じて人生の幸福を考えています。

人は自分と同じ考えという幻想

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突然怒り出す人にであった事はないだろうか?

その人が特別行動障害というわけではなく、ただの見解の相違と言う事がある。

話を伺うと、「こうして欲しかった」的な回答が多くてビックリする。

「こうしてほしかった」と言うのは裏返せば「こうしてくれるだろう」という希望的観測なのだ。

つまり「自分の気持ちを推し量らって、こうしてくれるのが当然」と感じているのだが、たいていの場合「相手にそれが伝わっていることはない」

つまり、勝手に相手に自分の考えを理解している事を望み、それが期待どおりにならないと知ると、機嫌が悪くなるといった具合だ。

だから、相手にしたら突然先方が怒りだしたように見えるのだ。

 

こいつは非常にやっかいで、伝えもしないのに相手がわかったものだと思うのは、ある意味潤滑に人間関係を保つのには必要かも知れないが、そもそも自分以外の人の事をそんなに興味ある人はいないだろう。

どんな美少女や芸能人でも、見ている人が勝手にイメージを膨らませているだけで、本当の彼や彼女は本人しか知り得ないのだ。

いや、愛する人や家族なら私は理解している、と言う人が居るかもしれないが、四六時中他人の事を考えていられるほど、人生は時間が余っていないであろう。

 

特に顕著なのは、店の店員と客とかだろう。

客は自分の事が理解されていると思い込み求める。

係員はその少ない情報から、大体の目安を立てるが、必ずしも合っているとは限らない。

その相違から「こうしてもらいたかったのに」みたいなクレームが起こるが、そもそも全く知らない客の事をそこまで知る事など不可能なのだ。

しかも、ここには「相手が格下」という思い込みが働き、さらにグロテスクな展開になる事もありえる。

「対応が良くない」などのクレームなどを良く聞くが(本当にそういう事もあるが)それは情報を提示していない事の誤解から起きる事も多い。

「こんな格下は、オレの事をわかっていてあたりまえだ」

的な考えであったとしたら、それはとつてもなく勘違いな考えだ。

店員と客の関係は主従関係ではないし、その関係に優越はない。

今はどこでもそれなりのものが買える時代だ。気に入らなければ他で買えば良いだろう、それだけの事なのだ。

だが、見解の相違が原因なら、どこにいっても同じ結果になる可能性があるので、もしそう感じるなら、誰であっても自分の真の理解者は自分のみ、だと肝に銘じるべきであろう。