ジャンクな脳と記憶

本を通じて人生の幸福を考えています。

生き方は自由だ!ナリワイをつくる!

 

 

ほんの50年位の昔、人々はいろんな事を行い工夫しながらインカムを稼いでいた。その日暮しとまで言わないが、わりとミクロな世界で簡単な仕事をして報酬をもらっていた。

今日のお題は伊藤洋志著「ナリワイをつくる:人生を盗まれない生き方」を紹介する。

 

この本によると、「百姓」の言葉の起源は「百の仕事」をするという事から来ているらしい。つまり、現代の我々のように「会社員」一筋の一辺倒ではなく、幾つかの仕事を掛け持ちで持っていて、その季節や需要に合わせて仕事を変えていくという生き方が普通であった事を示しているという。

 

まず、自分の生活を見直す事によってコンパクト化して、余計なものにお金をかけないようにする事が第一歩であり、その余剰分をお金に換えるという事をしていけば良いと著者は説くのだ。

 

つまり、何千万の家を買う代わりとして、スモールハウスを自分と仲間で造ってしまって、何百万も浮かせたり、その経験を活かして他人の家を修繕したりする。すると換金が可能となりナリワイとなる、てな具合だ。

 

それが仕事と違うというのは、まず自分のために行い、それが満たされたら他人に譲るという方法で、ビジネスとは逆の発想である事を示している。

また、それを専門としない事で、専門の人より完成度が下がるが、そもそもそこまで必要としていない人が多いであろうし、依頼人参加型とかにすれば楽しみながら、コストも下げれて、なおかつ完成度もそれなりでOKという事になる。

現代は何かと極めないとお金にならないイメージだが、名のしれた名人にならなくても、日常で暮らしていくためのものであるなら、実は誰でも出来る事が多いのもまた現実である。

昔の人とかは、何かと自分で直してしまうという人多いのではないだろうか?

家の修繕や、ちょっとした物置を建てたり、駐車場の整地や家電の修理など、中には椅子や机、床の張替えなんかもしてしまう強者もいると思う。

今でこそ、自分で直すより家電などは買ったほうが早いし、安い場合もあるだろう。だが、アナログなものとか家の修繕などは元々個人がそれぞれ直して居たのが普通であったのであろう。

世界的に見ても、家を立てたり、野菜を育てて自給自足をして、生活のイニシャルコストを下げている人達は多く、そういう事を自分でやれば毎日の生活コストは下がるに違いない。そこで毎日かかるコストを下げる事が出来れば、稼ぐ金額がそれほどでも無くても大いに充実するのではないだろうか?

つまり住宅を立てて、そのコストが日々の生活のイニシャルコストを圧迫しているなら、そこを抑えてコストを下げ、少ない報酬でも十分な満足感を得るという事をこの本は示唆していると言える。

 

時間を切り売りしているのは、この本のサブタイトル通り「人生を盗まれている」事に他ならず、人任せな人生が嫌だと感じているなら、この本のように違う生き方を考えてみるのもいいのではないだろうか?