ジャンクな脳と記憶

本を通じて人生の幸福を考えています。

何を始めるのではなくて、何を止めるかが問題だ。

 

 

みなさま明けましておめでとうございます。すっかりサボってしまった当ブログですが、忙しさとおっさん特有のイベント何もない日々のため、書くネタがない事ですっかり成りを潜めてしまいましたが、ひっそりと書いて行こうと思いますので、今年もよろしくお願い致します。

 

さて、表題の件ですが、新年にあたって各会社では、新しい取り組みをどうとかこうとか、偉い方が言っていたのではないでしょうか?、またメディアを見れば「新しい自分を探しに行こう」などと宣わって、その言通りに耳を傾けるとヘンテコな英語教材であったり、これからのトレンドはコレだ!的な「新しい自分」というより、「散財した挙句に自己嫌悪に陥る自分」的なものに成り下がるのが関の山という事が在るのではないでしょうか?

 

話を戻すと、やたら新しい事に固執したがる人間はあまり考えていない事が多いが、人材は有限であり、新しいことを考える事は良しとしても、それを行う人間が増えていなければ、結局同じ人間がその分仕事を増やして行う事になり、(大して利益が出ないのに)時間を取られて本来の事が出来なくなっているのではないでしょうか?

 

こんなことを続けていれば、やがて労働者は仕事が超過し破綻する事が目に見えているのに、そこに目が行かないのはどういうことなのでしょうか?

「気合だよ、気合」

やたらモチベーションが高い先輩は言うかも知れないが、実は「気合」も有限である。

 

ここで提案である。全てのものはトレードオフで出来ています。つまりキャパシティーが決まっていて、ある限界値を超えるとパフォーマンスが急激に落ちる。

これは人間だけに限らず、万物はそうであり、「気合で乗り切る人」であっても全てをできる訳ではない。

これは会社という営利を追求する組織の中であって、「プラス」の発想こそが正義という「幻想」が実は「マイナス」という皮肉な結果となって皆を苦しめているという事だ。

だがら、今年は何を始めるのではなく、何かを止めるという事に視点を変えたらどうだろうか?

これは何も仕事の事だけではなく、私生活であっても言えることであって、メディアがいう「自分を変える」的なメッセージは正しいけど、正しくない。

まず余分なものをそげ落とす事にこそ、今の時代は真価があるのでは無いでしょうか?

 

 

PS3は死んだのか?

 

 

今年のクリスマスプレゼントはPS4が一番人気ということらしい、今や子供に人気なのはWiiUや3DSではなく、少し大人びたハードPS4という事らしい。

ゲームのグラフィックが急激な進化を遂げた今の時代、画面は映画のようになり、そもそも操作すら必要なのか疑問に思う位になってしまった。

無論、それは正当な進化であり、今の時代当たり前の事なのだろうが、老ゲーマーの私にはゲームと言うのは、そもそも点取りゲームである以上、お花畑で蝶がひらひら棚引くゲームでも、数万人を強制収容所でガス室に送り込むゲームでも、ゲームの本質は変わらない、もっと言えば、ゲームの開祖アタリ社のポンと最新ゲームのバトルフィールドであっても同じものなのだ。

 

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アタリ社のポン。テニスゲームであった。

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PS4のバトルフィールド1。同じジャンルでの進化は、デジタルの世界では凄まじい。

 

PS4は所有していないが、その進化は極まっているのに違いない。確かに映像がゲーム性に直結するジャンルもあるので(レースゲームなど)新しい刺激を求めるゲーマー諸君は堪らないハードであるだろう。

 

で、私の愛機「PS3」だが、実は購入してから5年ぐらい全く起動していなかった。

私自体がゲームに時間を取れる暇が無くなってしまったのもあるが、そのグラフィックだけで売り込むその頃のゲームに全く興味が持てなくなっていたからだ。

しかし、もともとゲーマーであった私は、横目でPS4が値下げになるのを見ながら、(「PS3」をまったく起動していないのにも関わらず、だ。)購入欲を沸々と醸し出していたのだ、そして今年値下げを得た後、嫁の了解も得て購入しようと思い立ったのだが、、、)

欲しいソフトが無い。

事に気づいたのだ。最新のゲームを見ても、何か既視感が半端なくグラフィックがキレイなだけで喜ぶほど、私は初心では無くなってしまったらしい。

かろうじて欲しいと思ったのが、アーケードアーカイブスのダライアスであったが、

これではまったくPS4じゃなくてもいいんじゃ・・・。

と思い購入意欲も萎んでしまい、結局買うことは諦めた。

せっかくなので、「PS4」を立ち上げてみて(アップデートがかなりあった)一緒に買ったウイニングイレブンがどっかにいってしまったので、オンラインで幾つか購入してみることにした。

で買ったのが、

ワンダーボーイモンスターランド。

カプコンジェネ−レーション。

グラディウスV。

 

・・・PS3どころか、PS2でいいのではないだろうか?

 

ところが、このレトロゲームたちは実に具合がいい。

まず、

1. さらっと出来るので、時間がかからない。

2.設定や世界観を知らなくても楽しめる。

3.難易度が高いが、少しずつうまくなるのが分かる。

 

まず1だが、これは大人には重要で、TVを占拠してある程度時間がとれるには限界があり、高橋名人ヨロシク、1時間程度である。これぐらい短小のほうがいいだろう。

 

2はただ打つ、とか、ただ右に進んでいくというもので、マニュアルを見なくてもある程度進めるのが簡単で良い。ボタンが増えると操作を覚えるまでに投げ出してしまうが、それが無い。

 

3だが、以前レインボーシックスベガスをプレイした事があるが、私はその下手さにビビるくらいであった。何回プレイしてもオンラインで一人も倒せず、何回も殺されるひどいものであった。だが、横スクロールシューテイングはパターンが単純で、何回か繰り返すと少しずつ進めるようになる。

 

と、いうわけで最新ゲームはそれなりに面白さがあると思うが、忙しい現代人には中々時間の振り分けが難しく、枯れたゲーマーには、

枯れたハードがちょうどいいという結末でした。

買ったゲームは次回以降レビューしていきます。

 

 

 

名言は不滅!しんでしまうとはなにごとだ。

ドラゴンクエストと言えば、言わずと知れた超名作。日本RPGの金字塔である事は誰の目にも明らかな事であり、その秘密はやはり堀井雄二氏の絶妙なセリフ回しであると思う。

そんな堀井雄二の不思議がセリフ回しが浴びるほど堪能できるのが、本著「しんでしまうとはなにごとだ」である。

表題にもあったセリフ「しんでしまうとはなにごとだ」はドラクエやった事がある人なら、必ず聞き覚えのあるフレーズで、それをタイトルにもってくる事がまたこの本の並々ならぬセンスが伺える。

 

さて余談だが、このドラゴンクエストシリーズは対比としてよく同社の「ファイナルファンタジー」と比較される事が多いが、全くの別物であり、そもそもコンセプトが違うのだ。

もっと言えば、ファイナルファンタジーは未来永劫続くかもしれないが、ドラゴンクエストシリーズは「堀井雄二」が死んだら、もう作ることは不可能なのだ。

つまり堀井雄二というデザイナーが創りあげた、一種のアート作品といえるのではないだろうか?

まあ、そんな感じで妙にして言い当てているドラクエのセリフを本書から、少し抜粋してみよう。

 

「おお!〇〇しんでしまうとはなにごとだ」

この本のタイトルにもなった名セリフ。プレイヤーが死ぬと王様にこのセリフを浴びせられる。厳しい言葉にも激励がはいっているような絶妙なセリフであり、よくこんなセリフを考えつくなあと関心する名言である。

 

「おはようがざいます。ゆうべはおたのしみでしたね」

ヒロインのローラ姫と宿屋に泊まるとこのセリフ。しかも、それがその条件を満たさないと聞くことができないときたもんだ。こういった遊び心がファミコンという厳しいハードにて織り込まれている事に素直に感心。神は細部に宿るという事か。

 

「ガンガンいこうぜ」

名言すぎる。仲間に命令するコマンドが一発で何を表しているか分かるすごいセリフである。

「へんじがない、ただのしかばねのようだ」

当時、気落ちしている友人にこのセリフでからかった事があるが、そんなの当たり前じゃんと思うけど、言葉の妙さがとてもくせになる名言だ。

 

この他にも当然いろいろな名言があるが、載っていないものも含めてやっぱ堀井雄二は天才だと、再確認させられる本著も当然名著である。

 

蛇足だが、堀井雄二は名前のセンスがずば抜けていると思う。(キャラクターや呪文の名前とか)中でも気に入っているのが、

トンヌラ。が秀逸だと思うのは私だけではないだろう。

 

「そして、でんせつがはじまった」

 

 

 

 

COWSPIRACY:サステナビリティ。

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あなたはここ数日間何を食べたであろうか?

大体の食事に肉が含まれていたのではないだろうか?

いまや、なによりも肉の方が安い時代なのだ。へたに野菜を買うより肉を食べた方が経済的な場合が多いのではないだろうか?

 

さて、G7伊勢志摩サミットも終わり、なんとなくニュースなので「温室効果ガス」の話題がそれとなく語られていて、「地球温暖化」という問題が関心を得ているとおもうのであるが、その実情を知る人は少ない、そして幾らかの学者が警鐘する食物問題もそれほど話題にはなっていない。

一見なにも関係ないように思えるこの2つの問題は、実は大筋では同じことを語っている。いわば、「温室効果ガス」と「食糧不足問題」は地球環境問題の別の側面を見ているに過ぎないのである。

 

Netflixで公開しているドキュメンタリー映画「COWSPIRACY」はその事に切り込んだ稀有なドキュメンタリーである。

 

我々が思うに「温室効果ガス」のイメージは、人間が活動する上で必要な、運輸や発電が原因で過剰になっているイメージだが、実はもっと深刻な「温室効果ガス」を発している物がある。

それが「畜産」である。

 

えっ畜産って「酪農」の事?

 

その通りである。食肉や乳牛などを供給している産業である。

実はこれが、大きな問題を孕んでいるのだ。

 

具体的に言うと、

 

「温室効果ガス」の運輸での比率は13%

家畜等が発する「ガス」は15%

全世界の「温室効果ガス」の実に50%は家畜とその関係からのものである。

 

中でも牛は一頭あたりの土地が広大で、その飼料も膨大である。全世界の作物の半分は家畜用の餌を栽培しているという、これを人間が食べれば計算上は飢えはなくなるのである。

また、排出物が半端無く多く、人間の130倍であり、それは数々の汚染を呼び「温室効果ガス」の原因にもなっている。

 

つまるところ、家畜のウ◯コやゲップが地球を脅かすところまで来ているのだ。

そして、全人類が今の日本やアメリカ並みに肉食を行えば、ありとあらゆる場所を牧場にしなければ成り立たないと言う。

 

現実に南米のアマゾンの消失の90%は家畜の為に開墾したためだという。

 

これだけの被害?が行われていて、大体的に報じられていないのはそれは政治的な理由だという。畜産関係者のロビイストは、政治にもかなり介入できる言わばスポンサーであり、その力は政治やメディアを覆し、自然保護団体も見て見ぬふりという。(あのグリーンピースですら、だ)

 

前回のアーロン・シュワルツの回でも書いたが、ある特定の特権階級の人たちの意向に逆らうと、不当に逮捕されたり、職を追われたり、最悪の場合命を落とすというのは、ものすごく理不尽であり、恐ろしい事である。

 

このCOWSPRACYもスポンサーが降りてしまったり、同じことを告発して投獄された人が注意勧告した場面があったが、マイナーながらも我々の目の届くところまで公開された事が良かったと思う。

 

そして真実ではなく、誰かの意向通りに話が進むというのは、ダン・ブラウン*1の小説より、恐ろしい話である。

 

この環境問題については、いずれまた取り上げたいと思っています。

 

 

 

*1:ダ・ヴィンチ・コードの作者

インターネットの申し子。アーロン・シュワルツの軌跡。

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アーロン・シュワルツ

 

 

 

ネットフィリックスで公開されている、ドキュメンタリー、アーロン・シュワルツに関する番組が中々興味深いのでここに書くことにする。

 

まず、アーロンシュワルツについてだが、彼はもはや故人だ。2013年1月11日に自ら命を断ってその生涯を終えた。享年26歳であった。

まず、彼の肩書と言えば、インターネット活動家と書かれているが、それは彼を有名にして、やがて死に至らしめた事件が、そうさせている。

彼自身は政治家を目指していたが、それが叶う事は無かった。

 

彼が逮捕され、多額の賠償金を請求された背景には、大きく乱暴に言うと、

「自由の為の戦い」と言えた。

彼は学術論文を有料で公開しているサイトにハッキングして、そのデータをダウンドードした事が発端で、犯罪者のレッテルをはられる事になるが、その動機は極めて「インターネット」的な思想に基いて行われている。

インターネットの父をと言われるWWWを開発したティム・バーナーズ・リーはその技術を無償で公開し、知識の共有を促した。ウェブの無償性はここから発端としている。

つまり、アーロンもその思想に則り、知識のオープンソース化を進めたに過ぎない、あらゆる人々の叡智を広げる事で、数々の難題がクリアできるかも知れない、それは人類が次のステップに進むための必要なものと考えたに違いない。

 

だが、いつの世界でも、強欲なものが世界を変えることを許さない。

 

アーロンは捕らえられ、あたかも悪徳なハッカーのような扱いを受けた。彼が受けた懲罰は明らかに、今回の事件の範疇を逸脱したものであった。

 

彼は多額の保釈金を払い、釈放されるが、次に訪れる活動が彼を更に窮地に陥れることになる。

 

彼はオンライン海賊行為防止法に対して、過剰な規制があることを危惧して、活動を行う。結果、その法案を潰すことが出来てしまう。

しかし、彼の起訴はとどまる事を知らず、その刑期や罰金がどんどん増える事となった。

これは、判事や政治家のメンツを潰された腹いせや、不利益を被る企業の仕業に違いないと思えるような内容であった。

 

彼は失意の元、自宅アパートで首を括る事となる。

 

日本でもウェブに対する規制や、ドローンの規制、すんなりと受け入れられない法案が結局通ってしまっている現実がある。(「残業0法案」もそうとうヤバイ法案だ)

結果、人類に富を齎す人材を失ってしまうなんて、なんて愚かな事であろう。

TVも目の前の人も決して本音を言わない世界で、ウェブがその孤高性を果たして守り続けられるのであろうか?

インターネットの申し子。アーロン・シュワルツの軌跡はそんな事を思わせる重い内容でした。

 

 

いつか役に立つ!?冒険日記。

 

 

天変地異が訪れ、そこは自分の知識だけが頼りの不安定な世界。テクノロジーに慣れた我々にはあまりにも過酷な試練が訪れようとしていた。

 

みたいな書き出しの物語はよくあると思う。男子たるもの、サバイバルという言葉に密かな憧憬をもっているものなのだ。

日本テレビの「鉄腕ダッシュ」ではアイドルのTOKIOが、畑を耕したり、家を造ってサバイバル同然の生活をして人気を博しているし、昔でいうとさいとうたかをの「サバイバル」望月峯太郎の「ドラゴンヘッド」など、終末世界のサバイバルをあつかってヒットした作品も多い。

 

昔、雑誌の付録で「サバイバルテクニック」的な小冊子が付属していて、それには「火の起こし方」「ロープの結び方」「魚の捕り方」「罠の作り方」「水の濾過の仕方」などがリアルな絵とともに記載されていた。

私はそれが大のお気に入りで、自分がそういった状況であったなら、必ず生き残るぞど心に誓い、何度も読み返していた。こういった自然の中で生きる術(サバイバル)は男子の心には何かピンと来るところがあるらしい。

バーベキューで火を起こしていると、それを任された男は真剣に、尚且つ楽しそうに起こしているのを見たことはないだろうか、この火を起こす過程には我々の原始的な遺伝子に何か反応するのではないかと、大げさに思ってしまうものである。

蛇足であるが、先日嫁に燻製をするので火を起こせと命令されたので、ベランダで小型燻製器(ダンボールの簡易燻製器)に火を灯してみたのだが、私はタバコは吸わないし、暖房系も全てエアコンなので、いわゆるチャッカマン的なライターが無かったので、火を起こすのに非常に苦労したが、その過程で私は最初は面倒くさくてとても嫌だったのが、火をおこす過程でそれが楽しくなっていた自分に驚愕したものだ。

 

てな訳で、そんな付録を思い起こさせる「冒険手帳」を今回は紹介する。

この「冒険手帳」は前述した雑誌の付録そのままの構成で、現代に通じる動機を与えている。つまり、現代人の我々は「震災」というもはや現実味を帯びたサバイバルに直面する可能性があり、そのような場面で生き残るためにどうしたらいいかという事をサバイバル術を通じて学ぼうという趣旨だ。無論掲載されているのは、いささか都市でのサバイバルというより自然でのサバイバル術がほとんどだが、そんな事は無視してもこの本には男が胸熱になる項目が多く記載されている。

 

①火を起こす

②水を得る

③切る

④結ぶ

⑤食べる

⑥穫る

⑦寝る

⑧うんこする

⑨歩く

⑩伝える

⑪測る

⑫救う

⑬危険な生き物図鑑

 

どうだろう?なんかワクワクしないだろうか?実際使用する場面はほぼ皆無だろうが、読み物としてはかなり面白い。

我々現代人は、あまりに便利なものに囲まれすぎて、その本質というものを見失いがちだ(何故、水は飲めるのか?、なぜ簡単に食料が手にはいるのか)我々も自然の一部という事を再認識するには、やはり一度不便だけど、その原始的な生活を体験する事がいいのかも知れない。

 

現代はキンドルで持ち歩いて、いつでも閲覧出来てとても便利!

 

 

チャレンジすることに失敗はない。仕事はたのしいかね?。

不思議な事に、不運は得てして幸運に変わり、幸運は得てして不運に変わる。幸運も不運も、私はもはやあまり信じなくなっている。あるのはただ、巡り合わせだけだ。

本文より

 シカゴの空港が吹雪によって封鎖された夜、マックスと呼ばれる老人に出会う。彼はその道では著名な人物で、彼にアドバイスを直にもらうなどそれこそ幸運の出来事である。

これは、「私」が閉じ込められた空港で、一人の老人と会話することによって「仕事」の在り方、もっと言えば「人生」について深慮していく話である。

物語にでてくるマックスは、数多くの実業家や政治家がアドバイスを求めるほどの偉人である。そして、「私」は対照的に「普通」のサラリーマンである。

マックスは言う。

人生とは、くだらないことが一つ、また一つ続いていくのではない。

一つのくだらないことが「何度も」繰り返されるのだよ。

 

どきりとした人もいるだろう。自分の仕事が毎日繰り返しであることを実感したのを言い当てられて、ひどく困惑してしまった人も居るかもしれない。

 

マックスの哲学は今までの成功哲学とは異質なものだ。目標を掲げたり、成功者の真似事をする事を無駄なことと説く。

 

変化や試すことを繰り返し、その成り行きを見守る事で幾つかのアイデアが身を結ぶ事をマックスは推奨する。つまり、毎日違う人間になる、という事を目指すという。

 

問題は、平均より上の人があまりに多くて、

みんな普通になってしまっているってこと。

 

例えば、自分が漫画家になろうと思い立っても、絵がうまくないとそれにはなれない、と思い絵の勉強を始める。でも世の中には絵の上手い人などゴマンといるので、もっとうまくならないと漫画家にはなれないと思い、ひたすら努力する。だが、そういう風に完璧や目標を掲げすぎると、いつまでたっても始める事が出来ない。

 

目標に関するきみの問題は、

世の中は、君の目標が達成されるまで、

じーっと待ってたりしないという事だよ。 

 

色々な事を試しながら、未完成ながらも変えていくことが大事なのだとマックスは説く。具体例を上げながら(コカ・コーラの設立やリーバイスの成功など)その事に肉付けを行っていく過程が、この本の醍醐味であり、一番面白いところだ。

ビジネス書だけど、ものしりな老人が語る「仕事=人生」の話がこの本の真髄であり、面白いところでもある。

 

ホリエモンの本や以前紹介した「ソース」なども好きなことをやれという事は共通している。つまるところ、報酬より好きなことを優先したほうが、幸福度が高いという事なのだろう。