ジャンクな脳と記憶

本を通じて人生の幸福を考えています。

名言は不滅!しんでしまうとはなにごとだ。

ドラゴンクエストと言えば、言わずと知れた超名作。日本RPGの金字塔である事は誰の目にも明らかな事であり、その秘密はやはり堀井雄二氏の絶妙なセリフ回しであると思う。

そんな堀井雄二の不思議がセリフ回しが浴びるほど堪能できるのが、本著「しんでしまうとはなにごとだ」である。

表題にもあったセリフ「しんでしまうとはなにごとだ」はドラクエやった事がある人なら、必ず聞き覚えのあるフレーズで、それをタイトルにもってくる事がまたこの本の並々ならぬセンスが伺える。

 

さて余談だが、このドラゴンクエストシリーズは対比としてよく同社の「ファイナルファンタジー」と比較される事が多いが、全くの別物であり、そもそもコンセプトが違うのだ。

もっと言えば、ファイナルファンタジーは未来永劫続くかもしれないが、ドラゴンクエストシリーズは「堀井雄二」が死んだら、もう作ることは不可能なのだ。

つまり堀井雄二というデザイナーが創りあげた、一種のアート作品といえるのではないだろうか?

まあ、そんな感じで妙にして言い当てているドラクエのセリフを本書から、少し抜粋してみよう。

 

「おお!〇〇しんでしまうとはなにごとだ」

この本のタイトルにもなった名セリフ。プレイヤーが死ぬと王様にこのセリフを浴びせられる。厳しい言葉にも激励がはいっているような絶妙なセリフであり、よくこんなセリフを考えつくなあと関心する名言である。

 

「おはようがざいます。ゆうべはおたのしみでしたね」

ヒロインのローラ姫と宿屋に泊まるとこのセリフ。しかも、それがその条件を満たさないと聞くことができないときたもんだ。こういった遊び心がファミコンという厳しいハードにて織り込まれている事に素直に感心。神は細部に宿るという事か。

 

「ガンガンいこうぜ」

名言すぎる。仲間に命令するコマンドが一発で何を表しているか分かるすごいセリフである。

「へんじがない、ただのしかばねのようだ」

当時、気落ちしている友人にこのセリフでからかった事があるが、そんなの当たり前じゃんと思うけど、言葉の妙さがとてもくせになる名言だ。

 

この他にも当然いろいろな名言があるが、載っていないものも含めてやっぱ堀井雄二は天才だと、再確認させられる本著も当然名著である。

 

蛇足だが、堀井雄二は名前のセンスがずば抜けていると思う。(キャラクターや呪文の名前とか)中でも気に入っているのが、

トンヌラ。が秀逸だと思うのは私だけではないだろう。

 

「そして、でんせつがはじまった」

 

 

 

 

COWSPIRACY:サステナビリティ。

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あなたはここ数日間何を食べたであろうか?

大体の食事に肉が含まれていたのではないだろうか?

いまや、なによりも肉の方が安い時代なのだ。へたに野菜を買うより肉を食べた方が経済的な場合が多いのではないだろうか?

 

さて、G7伊勢志摩サミットも終わり、なんとなくニュースなので「温室効果ガス」の話題がそれとなく語られていて、「地球温暖化」という問題が関心を得ているとおもうのであるが、その実情を知る人は少ない、そして幾らかの学者が警鐘する食物問題もそれほど話題にはなっていない。

一見なにも関係ないように思えるこの2つの問題は、実は大筋では同じことを語っている。いわば、「温室効果ガス」と「食糧不足問題」は地球環境問題の別の側面を見ているに過ぎないのである。

 

Netflixで公開しているドキュメンタリー映画「COWSPIRACY」はその事に切り込んだ稀有なドキュメンタリーである。

 

我々が思うに「温室効果ガス」のイメージは、人間が活動する上で必要な、運輸や発電が原因で過剰になっているイメージだが、実はもっと深刻な「温室効果ガス」を発している物がある。

それが「畜産」である。

 

えっ畜産って「酪農」の事?

 

その通りである。食肉や乳牛などを供給している産業である。

実はこれが、大きな問題を孕んでいるのだ。

 

具体的に言うと、

 

「温室効果ガス」の運輸での比率は13%

家畜等が発する「ガス」は15%

全世界の「温室効果ガス」の実に50%は家畜とその関係からのものである。

 

中でも牛は一頭あたりの土地が広大で、その飼料も膨大である。全世界の作物の半分は家畜用の餌を栽培しているという、これを人間が食べれば計算上は飢えはなくなるのである。

また、排出物が半端無く多く、人間の130倍であり、それは数々の汚染を呼び「温室効果ガス」の原因にもなっている。

 

つまるところ、家畜のウ◯コやゲップが地球を脅かすところまで来ているのだ。

そして、全人類が今の日本やアメリカ並みに肉食を行えば、ありとあらゆる場所を牧場にしなければ成り立たないと言う。

 

現実に南米のアマゾンの消失の90%は家畜の為に開墾したためだという。

 

これだけの被害?が行われていて、大体的に報じられていないのはそれは政治的な理由だという。畜産関係者のロビイストは、政治にもかなり介入できる言わばスポンサーであり、その力は政治やメディアを覆し、自然保護団体も見て見ぬふりという。(あのグリーンピースですら、だ)

 

前回のアーロン・シュワルツの回でも書いたが、ある特定の特権階級の人たちの意向に逆らうと、不当に逮捕されたり、職を追われたり、最悪の場合命を落とすというのは、ものすごく理不尽であり、恐ろしい事である。

 

このCOWSPRACYもスポンサーが降りてしまったり、同じことを告発して投獄された人が注意勧告した場面があったが、マイナーながらも我々の目の届くところまで公開された事が良かったと思う。

 

そして真実ではなく、誰かの意向通りに話が進むというのは、ダン・ブラウン*1の小説より、恐ろしい話である。

 

この環境問題については、いずれまた取り上げたいと思っています。

 

 

 

*1:ダ・ヴィンチ・コードの作者

インターネットの申し子。アーロン・シュワルツの軌跡。

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アーロン・シュワルツ

 

 

 

ネットフィリックスで公開されている、ドキュメンタリー、アーロン・シュワルツに関する番組が中々興味深いのでここに書くことにする。

 

まず、アーロンシュワルツについてだが、彼はもはや故人だ。2013年1月11日に自ら命を断ってその生涯を終えた。享年26歳であった。

まず、彼の肩書と言えば、インターネット活動家と書かれているが、それは彼を有名にして、やがて死に至らしめた事件が、そうさせている。

彼自身は政治家を目指していたが、それが叶う事は無かった。

 

彼が逮捕され、多額の賠償金を請求された背景には、大きく乱暴に言うと、

「自由の為の戦い」と言えた。

彼は学術論文を有料で公開しているサイトにハッキングして、そのデータをダウンドードした事が発端で、犯罪者のレッテルをはられる事になるが、その動機は極めて「インターネット」的な思想に基いて行われている。

インターネットの父をと言われるWWWを開発したティム・バーナーズ・リーはその技術を無償で公開し、知識の共有を促した。ウェブの無償性はここから発端としている。

つまり、アーロンもその思想に則り、知識のオープンソース化を進めたに過ぎない、あらゆる人々の叡智を広げる事で、数々の難題がクリアできるかも知れない、それは人類が次のステップに進むための必要なものと考えたに違いない。

 

だが、いつの世界でも、強欲なものが世界を変えることを許さない。

 

アーロンは捕らえられ、あたかも悪徳なハッカーのような扱いを受けた。彼が受けた懲罰は明らかに、今回の事件の範疇を逸脱したものであった。

 

彼は多額の保釈金を払い、釈放されるが、次に訪れる活動が彼を更に窮地に陥れることになる。

 

彼はオンライン海賊行為防止法に対して、過剰な規制があることを危惧して、活動を行う。結果、その法案を潰すことが出来てしまう。

しかし、彼の起訴はとどまる事を知らず、その刑期や罰金がどんどん増える事となった。

これは、判事や政治家のメンツを潰された腹いせや、不利益を被る企業の仕業に違いないと思えるような内容であった。

 

彼は失意の元、自宅アパートで首を括る事となる。

 

日本でもウェブに対する規制や、ドローンの規制、すんなりと受け入れられない法案が結局通ってしまっている現実がある。(「残業0法案」もそうとうヤバイ法案だ)

結果、人類に富を齎す人材を失ってしまうなんて、なんて愚かな事であろう。

TVも目の前の人も決して本音を言わない世界で、ウェブがその孤高性を果たして守り続けられるのであろうか?

インターネットの申し子。アーロン・シュワルツの軌跡はそんな事を思わせる重い内容でした。

 

 

いつか役に立つ!?冒険日記。

 

 

天変地異が訪れ、そこは自分の知識だけが頼りの不安定な世界。テクノロジーに慣れた我々にはあまりにも過酷な試練が訪れようとしていた。

 

みたいな書き出しの物語はよくあると思う。男子たるもの、サバイバルという言葉に密かな憧憬をもっているものなのだ。

日本テレビの「鉄腕ダッシュ」ではアイドルのTOKIOが、畑を耕したり、家を造ってサバイバル同然の生活をして人気を博しているし、昔でいうとさいとうたかをの「サバイバル」望月峯太郎の「ドラゴンヘッド」など、終末世界のサバイバルをあつかってヒットした作品も多い。

 

昔、雑誌の付録で「サバイバルテクニック」的な小冊子が付属していて、それには「火の起こし方」「ロープの結び方」「魚の捕り方」「罠の作り方」「水の濾過の仕方」などがリアルな絵とともに記載されていた。

私はそれが大のお気に入りで、自分がそういった状況であったなら、必ず生き残るぞど心に誓い、何度も読み返していた。こういった自然の中で生きる術(サバイバル)は男子の心には何かピンと来るところがあるらしい。

バーベキューで火を起こしていると、それを任された男は真剣に、尚且つ楽しそうに起こしているのを見たことはないだろうか、この火を起こす過程には我々の原始的な遺伝子に何か反応するのではないかと、大げさに思ってしまうものである。

蛇足であるが、先日嫁に燻製をするので火を起こせと命令されたので、ベランダで小型燻製器(ダンボールの簡易燻製器)に火を灯してみたのだが、私はタバコは吸わないし、暖房系も全てエアコンなので、いわゆるチャッカマン的なライターが無かったので、火を起こすのに非常に苦労したが、その過程で私は最初は面倒くさくてとても嫌だったのが、火をおこす過程でそれが楽しくなっていた自分に驚愕したものだ。

 

てな訳で、そんな付録を思い起こさせる「冒険手帳」を今回は紹介する。

この「冒険手帳」は前述した雑誌の付録そのままの構成で、現代に通じる動機を与えている。つまり、現代人の我々は「震災」というもはや現実味を帯びたサバイバルに直面する可能性があり、そのような場面で生き残るためにどうしたらいいかという事をサバイバル術を通じて学ぼうという趣旨だ。無論掲載されているのは、いささか都市でのサバイバルというより自然でのサバイバル術がほとんどだが、そんな事は無視してもこの本には男が胸熱になる項目が多く記載されている。

 

①火を起こす

②水を得る

③切る

④結ぶ

⑤食べる

⑥穫る

⑦寝る

⑧うんこする

⑨歩く

⑩伝える

⑪測る

⑫救う

⑬危険な生き物図鑑

 

どうだろう?なんかワクワクしないだろうか?実際使用する場面はほぼ皆無だろうが、読み物としてはかなり面白い。

我々現代人は、あまりに便利なものに囲まれすぎて、その本質というものを見失いがちだ(何故、水は飲めるのか?、なぜ簡単に食料が手にはいるのか)我々も自然の一部という事を再認識するには、やはり一度不便だけど、その原始的な生活を体験する事がいいのかも知れない。

 

現代はキンドルで持ち歩いて、いつでも閲覧出来てとても便利!

 

 

チャレンジすることに失敗はない。仕事はたのしいかね?。

不思議な事に、不運は得てして幸運に変わり、幸運は得てして不運に変わる。幸運も不運も、私はもはやあまり信じなくなっている。あるのはただ、巡り合わせだけだ。

本文より

 シカゴの空港が吹雪によって封鎖された夜、マックスと呼ばれる老人に出会う。彼はその道では著名な人物で、彼にアドバイスを直にもらうなどそれこそ幸運の出来事である。

これは、「私」が閉じ込められた空港で、一人の老人と会話することによって「仕事」の在り方、もっと言えば「人生」について深慮していく話である。

物語にでてくるマックスは、数多くの実業家や政治家がアドバイスを求めるほどの偉人である。そして、「私」は対照的に「普通」のサラリーマンである。

マックスは言う。

人生とは、くだらないことが一つ、また一つ続いていくのではない。

一つのくだらないことが「何度も」繰り返されるのだよ。

 

どきりとした人もいるだろう。自分の仕事が毎日繰り返しであることを実感したのを言い当てられて、ひどく困惑してしまった人も居るかもしれない。

 

マックスの哲学は今までの成功哲学とは異質なものだ。目標を掲げたり、成功者の真似事をする事を無駄なことと説く。

 

変化や試すことを繰り返し、その成り行きを見守る事で幾つかのアイデアが身を結ぶ事をマックスは推奨する。つまり、毎日違う人間になる、という事を目指すという。

 

問題は、平均より上の人があまりに多くて、

みんな普通になってしまっているってこと。

 

例えば、自分が漫画家になろうと思い立っても、絵がうまくないとそれにはなれない、と思い絵の勉強を始める。でも世の中には絵の上手い人などゴマンといるので、もっとうまくならないと漫画家にはなれないと思い、ひたすら努力する。だが、そういう風に完璧や目標を掲げすぎると、いつまでたっても始める事が出来ない。

 

目標に関するきみの問題は、

世の中は、君の目標が達成されるまで、

じーっと待ってたりしないという事だよ。 

 

色々な事を試しながら、未完成ながらも変えていくことが大事なのだとマックスは説く。具体例を上げながら(コカ・コーラの設立やリーバイスの成功など)その事に肉付けを行っていく過程が、この本の醍醐味であり、一番面白いところだ。

ビジネス書だけど、ものしりな老人が語る「仕事=人生」の話がこの本の真髄であり、面白いところでもある。

 

ホリエモンの本や以前紹介した「ソース」なども好きなことをやれという事は共通している。つまるところ、報酬より好きなことを優先したほうが、幸福度が高いという事なのだろう。

 

 

サラリーマンの終焉?堀江貴文「99%の会社はいらない」

 

今回のお題はホリエモンこと堀江貴文氏の新書「99%の会社はいらない」です。もうタイトルだけで、どういった内容かが窺い知れるようなタイトルだが、このタイトルだけでこの本が読みたくなってしまったあなたは、もう社畜失格ですね。はい、そうです。私もその一人ですから、よーく気持ちが分かりますよ。

 

さて、本書だが先日同氏の著作「本音で生きる」を紹介したが、本としてのクオリティはその本のほうが高かったように思える。「本音で生きる」の方は、堀江氏の生き方としての根幹があり、尚且つ納得できる内容に思えたからだ。

 

gummy2.hatenablog.com

 

で、今回の「99%の会社はいらない」だが、こちらの方はより会社や民主主義、もっと言えば雇用システムに絞り込んだ内容だが、少しページ数が少ないかも知れない、少し本を読む人なら、すぐ読めてしまう分量である。(総ページ数は207ページ)実際、私も1時間半ほどで読破できたので、早い人は1時間程度で読み終わるであろう。

 

今まで通りの口調で、自分のエピソードを交えながら、他人の為に時間を使うのではなく、自分の為に使う事が人生での最も充実した生き方だ。という事が謳われている。

そして「会社」というものがいかに旧世代のものであるか、そして非合理であるかを具体例とともに示している。

堀江氏がIT系の人間という事を差し置いても、これからはAIや機械の時代である事はこの本を読まなくても薄々感じている人が多いと思うが、それによる雇用の低下(いわゆる機械に仕事を奪われる)を嘆く人の不毛さ、(それは産業革命以降自然の摂理として行われて来た事であり、必然なのだ)不可解さを込めて氏はこう述べる。

 

仕事がなくなるとお金が稼げなくなるので生活に不安を感じている人もいるだろうが、そうなったら、もっと好きなことをして仕事をすればいいのではないだろうか?

 

つまり、AIや機械が自分の仕事をやってくれるなら、その余った時間を使って、本当の好きなことをすればいいというのが、ここでの根幹なのだ。

 

そんな、好きなことで生計なんて立てられないよ。

と思った御仁はもっともである。そこで堀江氏はバカになることを推奨している。

そして成功している社長などは「バカ」が殆どと言い切る。

 

起業してうまくいっている人も、バカと天才しかいない。こういってはなんだが、うまくいっている人の半分以上がバカだ。後先を考えられないから、リスクも考えられない。

 

つまり、いろいろと考えすぎるといつまでたっても行動出来ないという事だ。いっそバカになって行動してみようという事だ。

 

株式会社では、我々従業員はたんなる経費だ、会社という法人という名の人格は「経費」を削る事が使命であり、それによって投資家に配当を与える機械のようなものだ。我々が人の人生をなんだと思っているんだと声高く喧伝したところで、「経費」は「経費」なのだから、我々も備品のスリッパも同系列なものに違いない。

だったらいっそ会社という枠組みを外れ、好きに生きてみるのも良いのかもしれない。

 

迷宮には何かが潜んでいる。隣り合わせの灰と青春。

祝福と書いて「カルキ」と読む。

そして祝詞として、「皆にカルキを」と唱える。

これは1981年にアップルで発売された伝説のRPG「ウィザードリィ」のノベライズである「隣合わせの灰と青春」の一節にあるセリフである。

原作はもう30年近く前のものだが、今読んでも中々スリリングな内容である。

当時ファミコン版が発売された「ウィザードリィ」はそのファミコンにありがちな「ニコニコ」的な優しさが一欠片も無いゲーム内容に、大人のゲームの片鱗を見る事になった。

鬱蒼とした迷宮。

大人びたグラフック。

容赦無いゲームバランス。

そして恐ろしいまでのストーリーの無さは逆に想像力を掻き立てられ、その創造物の産物がこの「隣合わせの灰と青春」というわけなのだ。

当時、ファミコン必勝本という攻略系の雑誌に連載されていた本作は、その連載の中でも異色を放っていたと思うが、いわゆる「ドラクエ」や「FF」とは違った世界観やリアル路線に「やっぱ、ウィザードリィだよなあ」と言わしめる凄さがあった。

連載では、ワードナーの玄室までしか描かれていなかったのが、単行本にて完結すると言うことで、となり町の本屋まで自転車で探しまわったのだが、売っているのが見つからず、仕方なく近所の本屋で予約して漸く手に入れた思い出がある。

作者であるベニー氏は、幾つかゲームのノベライズをしているが、この「隣合わせの灰と青春」と続編である「風よ龍にとどいているか」の二作は群を抜いて完成度が高く、「風よ龍に届いているか」はキンドルで刊行予定なので、発刊されたら是非買いたいと思っている次第である。

 

 

大魔術師ワードナーは狂王トレボーから「魔除け」を盗み出し、巨大な地下迷宮を建造し、その玄室に身を隠してしまった。トレボーは冒険者を集い、ワードナーから魔除けを取り戻す者たちを広く公募する事にした。地下迷宮には恐ろしい怪物どもが巣食っており、冒険者達は日々訓練を重ね、ワードナーを斃すために迷宮に乗り込んでいくのであった。

 

登場人物

 

スカルダ:善の侍、本編の主人公。

サラ:中立の魔法使い、ヒロイン。

ガディ:中立の戦士、スカルダの仲間。

ジャバ:中立の忍者、スカルダの仲間。

ベリアル:善の僧侶、スカルダの仲間。

シルバー:善の魔法使い、彼が死んだ所から物語は始まる。

バルカン:悪の魔法使い、死んだシルバーの代わりにスカルダのパーティに加入する。

 

ゴグレグ:悪のドワーフの戦士、ガディをライバル視している。

アルハイム:悪の僧侶、ベリアルとは兄弟子関係。

ハ・キム:悪のホビットの忍者、「ひひ」と特徴的な口癖を使う。

サンドラ:悪のノームの魔法使い、ルードラの双子の兄。

ルードラ:悪のノームの魔法使い、サンドラの双子の妹。

ラシャ:中立の盗賊、ジャバの幼なじみ。

 

物語はほぼ迷宮での戦いではあるが、ウィザードリィをプレイした事があるのなら、そのプレイ中の不可思議な事が説明されていて興味深いし、そこが面白いところである。

また、呪文などが日本語で表現されているのも中々いい味を出している。(爆炎がティルトウェイトなど)

しかし、著者のベニー氏は中々の筆力なのだが、いかんせん著作が途中で終わっているものばかりなので、描き下ろしの新作を新書として是非出してほしいものである。

この「隣合わせの灰と青春」で一番のお気に入りキャラはアルハイムであるが、それは読んでみれば納得できるのではないだろうか。

 

皆に祝福(カルキ)を!